通年コース9~10ヶ月指導(3月スタートは10ヶ月)、1月からは個別指導(オプション)にて最後の追い込み体制を取ります。最後の追い込み体制への移行は生徒の達成度から
逆算して早期から開始する場合があります。
使用テキスト等については各教科の指導システムをご覧ください。
テキスト内容は無限に変化させることが可能です。
A:国公立、大阪医大、関西医大、関東上位医大コース (基本コース304万円)
国公立、関西医大、大阪医大、関東上位医大を目指すコースです。通常コースに国語が追加されます。Bコースと一部合同授業になる科目もあります。
夕方からは管理自習、個人自習、スポット及びレギュラー個別指導、セルフ模試から選択
寮生は夕食をいったん食べに帰るのか取り置き状態にするのか午前中に選択してください。
B:私立医学部コース(基本コース342万円)
全国の私立医大を目指すためのコースです。少人数制のため、各自の志望校をしっかりと事前にインタビューして授業に直接反映させるように考慮します。
夕方からは管理自習、個人自習、スポット及びレギュラー個別指導、セルフ模試から選択
寮生は夕食をいったん食べに帰るのか取り置き状態にするのか午前中に選択してください。
C:私立医学部基礎完成&私立歯学部基礎完成コース(基本コース342万円)
私立医大希望者で歯学部も同時に受験する生徒と歯学部専願の生徒を対象にしたコース
夕方からは管理自習、個人自習、スポット及びレギュラー個別指導、セルフ模試から選択
寮生は夕食をいったん食べに帰るのか取り置き状態にするのか午前中に選択してください。
D:個別指導コース(1コマ90分:13000円)
弱点科目のみ補強したい受験生に焦点を絞りきった指導を行います。国公立受験生で弱点のみ補強し、自学中心で狙う生徒や大手予備校や他の指導機関と掛け持ちで合格を狙う生徒のためのコースです。
D2:再受験生指導コース:
現状や履歴等を詳しく聞いた上で指導体制を決定します。
スムーズに無駄なく受験生レベルに到達させることを目標とします。
最短で受験生レベルに近づけるためのコースです。
E:個別集中コース(各教科週1コマのみ)限定人数のみ
国公立私立医歯学部受験生が最低限の時間数で集中的に自分のテーマを設定するコースです。
医歯学部再受験生や社会人受験生が限られた時間を最大有効活用するために設けられたコースです。(1コマ90分:13000円)年間200万位の学費で済ませるコース
このコースは基礎力がない生徒には適しません。ある程度完成した生徒の同じ授業内容の
無駄を完全に省き、効果的な時間利用のために設けられています。
自己管理ができ、自学も十分できる受験生向きです。
現役生については、受験まで時間が足りないため基本的に個別指導で行います。ただ、受験校が同じ、レベルもほぼ同じ位であれば少人数指導を組みます。夏期等については変化と刺激を与えるために浪人生と合同に行う場合があります。
基本的に高校3年生対象ですが、高校1、2年生で無学年制でも構わないという高校生の参加も可能です。再受験生、大学に通学しながらの受験生、社会人の参加も可能です。
(4月開講 定員10名〜15名)
月曜日:生物(PM6:00) 須藤
水曜日:化学(PM6:00) 森井
木曜日:数学(PM6:00) 森井
金曜日:数学(PM6:00) 森井
土曜日:英語(PM2:00) 川添
日曜日:模擬試験
物理希望者は事前に連絡してください。レベル差に応じて個別対応になる場合があります。
(土曜日、日曜日に個別授業を付加することも可能です)
D:個別指導コース(1コマ90分:13000円)
弱点科目のみ補強したい受験生に焦点を絞りきった指導を行います。
<特別コース>
E:Phenixフレキシブルコース(1コマ90分:13000円)
不定期個別指導を組み合わせる個人のニーズに合わせるコース国公立受験者のみと
不定期個別指導の回数の指導
注意:講師の空いた時間にのみ授業を行います。受験日を待つだけのある程度完成された生徒向きの指導システムです。
(限定数のみ)
中学生からの医学部受験指導については別途ご相談ください。個別指導にて対応します。
再受験生については個々の状況が異なるため、ヒアリングを十分にした上で吟味して決定
したいと思います。
高卒生(基礎コース) | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
9:00~10:00 | テスト | テスト | テスト | テスト | テスト | テスト | |
10:00~11:20 | 数学 | 数学 | 英語 | 英語 | 化学 | 数学 | |
11:30~12:50 | 数学 | 数学 | 英語 | 英語 | 化学 | 数学 | |
13:00~14:00 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | |
14:00~15:20 | 英語 | 化学 | 数学 | 生・物 | 小論 | 生・物 | |
15:30~16:50 | 英語 | 化学 | 数学 | 生・物 | 小論 | 生・物 | |
課題または個別授業 | 個別 | 課題 | 個別 | 課題 | 個別 | 課題 | |
課題または個別授業 | 個別 | 課題 | 個別 | 課題 | 個別 | 課題 |
高卒生(上級コース) | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
9:00~10:00 | テスト | 課題 | テスト | 課題 | テスト | 課題 | |
10:00~11:20 | 英語 | 化学 | 数学 | 英語 | 生・物 | 化学 | |
11:30~12:50 | 英語 | 化学 | 数学 | 英語 | 生・物 | 化学 | |
13:00~14:00 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | 昼食 | |
14:00~15:20 | 数学 | 数学 | 国語 | 生・物 | 数学 | 自習 | |
15:30~16:50 | 数学 | 数学 | 小論 | 生・物 | 数学 | 自習 | |
課題または個別授業 | 自習 | 自習 | 個別 | 自習 | 自習 | 個別 | |
課題または個別授業 | 個別 | 自習 | 自習 | 自習 | 個別 | 自習 |
高校生コース | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
数学 | |||||||
数学 | |||||||
18:00~19:20 | 数学 | 化学 | 英語 | 数学 | 英語 | 生・物 | 英語 |
19:30~20:50 | 数学 | 化学 | 英語 | 数学 | 英語 | 生・物 | 英語 |
以下の指導記録は2007年9月26日から2008年1月16日まで100回にわたりブログとしてサイト訪問者に楽しんで頂くために事務局長川添が企画したものです。
気軽に楽しんで下さい。
記事の中には後日、加筆・修正されたものもあります。
「話には聞いてましたが、書き続けるという苦労が予想以上にきつかったですね。
何年も書いている人はすごいと思いますよ。
最初は「一体、俺は誰に向かって書いているのだろう?」 とか「これを書いて何になるのだろう? どうしてこんなしんどいことを始めたのだろう?」とか思いましたね。止めるのは簡単ですからね。
でも途中から、自分が読んで欲しい人1人をリアルに頭の中に想像して2人で世間話している感覚を頭の中に常に持つんですよ。たった1人だけ想像するんです。で、その人はにこにこ笑って話を聞いてくれてるんですよ。頷きながら、そうしたら調子に乗って一気に100回まで加速しましたね。コツと言えば、それですかね。
そこへの集中力ですよね。
書きたくなくて途中で休んだ時に読者数のバーが数字となって見れるんですが、読者数が重圧でしたね。書いてないのに訪れてくれる。「次、次、早く書けよ~早く」みたいな重圧が苦しかったですね。しかし、いい経験になりました。読者の方ありがとうございました。それでは楽しんでください。」
テーマは「気づく能力」と「持続力」の大切さにどれだけ早く自分自身が気がつくか、そしてそれを自分の子供に伝えるためにどうすべきか?を様々な角度やテーマから解析するという
ことについて書くことにしました。
フェニックスゼミ事務局長 川添雅夫
今日から受験までに気がついたことや関連点や反省点を様々な角度から記録していこうと思う。
受験生と同じく自分自身に強制的な課題を与えて見よう。
そして「受験勉強の後悔」は何を原因にして起こるものなのか?、そしてそれを防ぐためには
一体何が必要なのか?をこの機会に徹底的に追及して見ようと思う。
しかし、心や覚悟等ができていない読者に対して単に上から目線の説教だけの「~しなけれ
ばならない」だけでは読者も息が詰まるだろうし、疲れるだけだ。これがポイントだ。いくぶん「癒し」や「おもしろい話」を加えていかないと読者がきついだろうなとも思う。とにかく「自然に、ナチュラルに大切なことがインプットされる」ことだけを目標としよう。
ここがそれてしまうと単なる説教100連発になってしまう。ここを守れるかどうかの壁が今回の企画の最も重要なポイントになるだろうと思う。自分なりにがんばって見たい。
家庭内でも常に説教されている受験生もいるのだからこのブログを読んで更に疲労させると申し訳ないとも思う。狙っているのは「おもしろくて役に立ち、そして一気に読み終えました。」
という感想だ。心配なのは「読者のレベルのどこに合わせるか?」だと思う。
やはりポイントはここだろう。逆の立場になっても自分からわかりきった説教100連発など
読む気がしない。もし、失敗するとすれば書き手と読者のレベル設定の差になるだろう。
もう1つはテクニックやノウハウ以前にもっと大切な心やそれを創るために必要なことなどが抜け落ちているため、そこに徹底的に焦点を当てていきたい。心の土台もできていないのにその上にいくら付け焼刃のテクニックやノウハウを語った所で意味がないことに気がついて欲しいからに他ならない。
「改善と変化」というのはこういう学校や指導機関等において「気をつけないと忘れ去られる」ことである。例えば、公立高校の先生と私立高校のサービスレベルは異なる。公務員となると「競争」という観点を知らないうちに忘れてしまう」とある公立高校の先生が言っていたのを思いだす。
「競争がなくなるとサービスレベルが低下する」「そしてお客さんが不便に思う」と「ぬるい空間にいるとぬるい事が当たり前になる。そしてぬるい空間から出たくない自分がいる」とも言っていた。受験生活と共通するものがあるかも知れない。
本日は金沢医科大学の問題を解いた上でのフィードバックを森井先生がやっている。最新の2008化学だが、「難しいと言うよりやりにくい」「普通の指導ではやらない出題だ」「出題者の意図がわからない」「中学生用の理科の細かい所じゃないか?」「これは化学の問題か?」というのが一部あるとのことと静かに文句を言っている。
去年簡単だったから今年はそれじゃいかんということで難しくしたのだろうと言っていた。「なるほど、さすが!」の分析である。
ところで年明けから川崎が一番に開始されていたのが、なぜ金沢に変わってしまったのか?と受験生なら思うだろう。川崎スタートで埼玉最後は定位置だったのに。
祭りの「露天の売り場の位置争い」と同じようなものか?なぜ、藤田は近畿大学医学部と何年もバッティングさせるのか?なぜ、兵庫と杏林もぶつけ続けるのか?日程に応じて受験者数というのは大きな影響を受けるはずだ。受験料収入も大きく影響される。受験制度というのも色々な角度から視点を変えて見るとおもしろい事が発見できるような気がする。
これだけ毎年、複雑に変化している世界も珍しいだろう。
ところで新DVD全5巻はいつ完成するのだろう? 森井先生、岡山までの撮影本当にご苦労さま
でした。
まずは読者の役に立つ情報をわかりやすく伝えることをポイントとしよう。
読み終えた時に「今までわからなかったことがわかった」、「ものすごく役に立った」と言われるように本気で書いて行こうと思う。100回連続は大変だと思うが、途中で挫折しないようにがんばりたい。最終回まで書き終えたい。
まず、受験者層が近年かなり変化していること。圧倒的に難しい医学部のような学部と簡単な学部との格差が大き過ぎであること。再受験生も増えていると思われる。
地域枠やAOだとか小論文の出題であるとか、医学部の推薦入試の出題、集団面接や適性検査等、現在の学校でやっていることと入試問題の乖離が大き過ぎること。
言い換えれば入試システムだけが速度を上げて変化しているのに対して、学校の方も対応できていないし、少人数の医学部受験生だけの進路対策や進路指導だけにかかわっていられないという現実があること。
昔、受験した保護者の知識は全く役に立たない位に年々劇的に変化していること。
つまり「保護者や学校の知識の時間が止まっていること」
最も受験に敏感な母親は必死で「危機感」を子供に伝えようとするが、伝わらないこと。また具体的に理由を伝えられないため、子供もどうしたらいいかわからないこと。具体的な理由のない怒りと行動する理由が見つからない子どもとの間の説明のない切迫感だけの家族内コミュニケーションに終始していること。
そうこうしている間に受験日が来てしまうこと。また人生の数十年を買う試験という試験であるにもかかわらず、近年の「微差」の試験であるにもかかわらず、自分が対応できない面接や小論文、適性や願書作成等においても何も準備らしきものはせず、出たとこ運次第で毎年参加している認識の低い受験生が多数いること。
全てにおいて抜かりなく「差」が出ないように準備するのが当然の時代に何もしていない、何もしない、しようとしない受験生がかなりいること。
受験生も何かやらなければと多少は思うが、道筋や行動の手順を示すものがないため、焦るだけで結局同じ浪人の道を歩み、気がつけば自分がものすごく不利な状況に落ち入っていること。「そこで初めて気がつく」というなぜか見事に同じ道を歩いて同じ苦しみを味わってしまうという不思議すぎる位の現状であること。
長期化する受験生の歩んできたパターンが驚くほど一致していること。またその状況に来るまでに誰も注意しないか、本人が気がつかないか、聞く耳持たないかのどれかであるという事実があること。
一言で言えば「成功は真似るのは難しいが失敗はそっくりそのまま同じ失敗をする。
そして、本人が気がつくまでに相当の時間がかかる」ということ。
「長期化した場合のリスク」に気がつく能力があり、そのリスクから逆算して行動できる受験生だけが有利に持ちこめることは事実であること。また、そのリスクに気がつかせるのが至難の技であるということに集約されると思う。
また、気づくのが本人が不利な状況になった後であること。そして後悔し、そこで初めて反省するという現実があること。「早く気がつく方が圧倒的に有利であること」が伝わらないこと。まさに「歴史は繰り返される」ではなく「後悔は繰り返される」ということ。
このわかり切った事実に対して切り込んだ情報がないため深く原因追究して解明してみたい。
さっき地方の方から電話で質問があったので記録しておこう。関西医科大学の推薦入試の適性問題についての質問である。適性試験と小論文と面接についてのいくつかのアドバイスをした。しっかりがんばってください。ある意味条件は同じなので「開き直り」が大切ですよ。合格を祈っています。
<推薦入試で大切なことは何か?>
これは「期待し過ぎるな」ですね。どういうことかと言うと発表まで「心のどこかで期待してうわつくんですよね。そして発表があってから「背水の陣」でとばすんですよ。
しかし、そのうわついた期間に浪人は全力で現役に追いつかれないようにダッシュかけまくるんですよ。つまり、その「うわついた期間」を後で落ちてから悔やむんですよね。
推薦発表から一般までどれだけ期間が短いかわからないんですよね。
だから落ちた現役生がなんとか現役の特権を利用して逃げ切ろうと近畿大学の推薦が膨れあがるんですよね。
推薦終了したら合格していようがしまいがすぐに一般に向けて発表の日を無視して全力ダッシュですよ。合格してたらその時喜べばいいんですよ。「時は必ず過ぎてゆく」ですよ。
ここで書く記事は、私の個人的意見であるが、かなり価値のある意見であると思う。
ここを読むことによって受験生全体が更にレベルアップして大変になるかも知れないが書いてみたい。(またこの記事の影響で一般入試の二次レベルも上がるかも知れない。)
推薦入試(今、思い浮かべているのは関西医大、近畿大学医学部、兵庫医科等だが、おおむね全国の大学で共通だと思う。)で合格した生徒の「像」はわかり易く言えば、「TVの青春ドラマに出て来る優等生の主人公」そのものだと言える。
ただ、会場に集まって来るのは多かれ、少なかれそういう「像」を持っているものだ。
なぜなら、真面目な各高校の代表選手だから当然と言えば当然だろう。
ただ、唯一「卓越した違いのある能力がある」とすれば、
面接の「発言が一貫して最後までブレていないこと」が上げられると思う。
面接は、長時間になればなるほど、または集団面接のようなストーリーのないそして発言の自己コントロールができない世界になればなるほど議論からそれたり、準備をしていない不適切な発言が出て来る可能性が高くなる。
面接官の頭の中に「....ん?」(わかり易く言えばこの子減点)のような機会が増えて来ると思うのである。つまり、「優等生なら優等生のイメージで一貫して最後まで貫けるかどうか?」だと思うのである。
頭の中に「ん???」という面接官からの「予想外発言」を最後まで出さずにブランドイメージを保ち続けれるかどうか、そこに鍵があるような気がする。
この頭の中の「ん???」は選択肢から外れた消去法のようなものだろうと思う。候補から削られたという意味での「ん???」である。
それではどうしたらいいのだろうか?
イメージを一度も崩さない位まで訓練するしかないだろうと思う。
個人的意見だが、合格した生徒は私がいじわる的にあらゆる角度から質問しても「一貫したブレのないブランドイメージが中心にある」と言える。
そこに「ある種の輝き」というか、その生徒だけ光って見えるいわゆる「ハロー効果」が出て来るような気がする。
自分をぶれない状態でいる時間を長くするより仕方がないだろうと思う。
自分ブランドを「最後まで演じきれるか?」と言い換えられるかも知れないが....
がんばって欲しい。
コミュニケーション能力と言うより、「人間の中から出て来るブランドイメージ」が最後の決定要因のような気がする。5人いればその子だけが光っていて廻りの4人は暗く斜線が引かれたような...(頭の中で人間の消去法が完了したようなイメージだろうと思う)
「この子、いいよな!」がビンビン伝わって来るような力と言うか....
(自然にぐいぐい引き込まれるという感覚の方が近いかもしれない)
わかりにくいかも知れないが、そのイメージが最後の最後まで崩れないのだ。そこの「差」のような気がする。
最後に小論文や面接を参考程度だとか、全く無視している生徒もいるが、今の時代、どう考えても「点数が競る」としか考えられないだろう。(最初からわかり切っているだろうと思うのだが.....)
その時「合格を自分の方向に引き寄せる、最後に転がり込ませる」という意味でも「差」にこだわるべきだろうと思う。
「俺、ペーパーだけはできるけど医者にさせてくんない? でも人間的には疑問だけどね........」といきなり告白されて、あなたは受け入れるだろうか?
大学生の就職試験でさえ、2次面接、3次面接、幹部面接、役員面接、社長面接と5回も6回もやる所があるのにいずれお客さんの前にサービス業として出るのにペーパーだけではまずいだろう。
これだけ患者がうるさく、薬等の知識を持っている時代に学科オンリーはまずいだろうし、わざわざ面接のない所だけを狙って楽になるかと言えばそうではないだろうと思う。
また、1月からの一般入試においてもやっとのことで2次試験までたどりついて、そこでふられたらどれだけ落ち込むことか、わからないのだろうか........?
2次試験に参加しただけの「無駄ツアー」がどれだけ精神的ダメージを与えることかを考えて見たらわかると思うのだが...
1月、2月の死ぬほど忙しい時期に無理して時間を創り、2次試験のために4大学横断したとする。交通費、宿泊費、場所から場所への移動、慣れない場所での受験を4大学駆け抜けたとする。
どの新幹線に乗るべきか、次の大学へ最短移動するにはどうすべきか、次の受験校の一次の準備も同時に行わなければならない。そこですべて二次でふられるとモチベーションの糸は完全に切れると思うし、「ここからどうがんばれるんだよ?」となるという気持ちもわかる。
二次試験を受けること自体が怖くなる場合だってあるものだ。
「モチベーションの糸」はつなぎ続けないといけない。「勢い」はキープし続けなければならない。なにしろそれがシーズン中の原動力なのだから......
そこで複数合格すると最大の快挙を達成する位、エネルギーアップして「勝つのが当たり前状態」になるかも知れない。「乗りに乗っている」、「負ける気がしない」が最高ですよね。(最高のケース)
逆に二次で複数不合格だったら自分という人間を否定された気分になりますよね?「負け癖」がついてしまいますよね。スポーツ選手が負け癖がついてなかなかスランプから回復できないのと同じようになりますよね。
「勝てる気がしない....」から「どうせ無理...」とかなったらダメですよね。(最悪のケース)
流れとか波に乗るって本当に大事なことですよね。
経験者なら当然今、頷いてますよね?
最後のアドバイスとして「第3者から見た自分の印象や象を自分で分析しておく」ということが必要だと思う。例えば、普段から小声でしゃべる生徒が本人からすれば大きな声を出していると思っている。
これを親が見ると「普段よりは大きな声だな...」で済む。しかし、推薦入試の受験生の積極性と声の大きさからの基準で見ると「全然ダメ、全くダメ、勝負にならないよ....」と判断される。(本人は一生懸命張り上げているのだが..)
家族でもない、第3者(一番いいのは合格者の基準像を知っている人)から改善点を指摘されること。時間がなければ自分自身をビデオで撮影して解析することがいいだろう。
自分で見ると「いかに覇気がないか....とか俺早口過ぎとか...何言ってるのかよく聞き取れない?、自分何が言いたいん???」とか絶対にわかるから(自分だけの思い込みの恐さがよくわかるからやるべきだと思う)
実際に試験当日、ビデオ撮影する所もあるのだから練習にもなるだろう。
(ビデオ撮影は「どの生徒を取るか?」というような判定会議で先生同士の間で意見が割れた場合に資料として再生して決定する時に使われると推測される。それだけ慎重に選んでいるという根拠にもなると思う。)
「自分の客観的印象を自分自身で知る。」これを実行して欲しいと思う。
そしてもちろんぎりぎりまで修正をかける。それで逃げ切れたらこんないいことはないだろう。そしてぎりぎりまでやったということが「落ち着き」を産み出すから..... 当日、パニックで終わるより絶対いいから....
苦労は先にしておく方が絶対いいから
ここで書くことは、あまり面接の参考書等で理由が書いてないので書いてみたい。
実際、親の影響で普段から医療の問題や診療報酬の問題やそれに絡む政治の問題まで詳しい受験生が実際に存在する。
成績もいいのになぜか二次で落とされてくる。あるいは推薦入試の面接でも失敗して来る。推薦入試で合格する生徒の特徴に「無垢で(心が清らかで)願望が純粋で強い」という特徴がある。
どういうことかと言えば、開業医の子息でやたら詳しい受験生が集団討論で「お前ら、そんなきれいごとで医療が成り立つか!」とか「アホか、お前ら国の医療費削減知らんのか!」と言うように「我、ここにあり!!」とばかりに自分が目立つために相手を叩き潰して来て自分は落ちるというパターンである。
本人は「してやったり!」と満足げに結果に期待して帰宅するのだが言うまでもない。
もちろん不合格となる。
本人は「やった!、これで俺は目立ったはずだ。(本当は悪い意味なのだが本人は妙な優越感に浸って自己満足している。)普通の受験生に完全に差を開けたぜ!」と喜んでいる。
あるいは個人面接で面接官とチャンスとばかりに激論してこれもまた自己満足に浸って落ちている。こういうケースは全て落ちていると思う。第一、そんな「生意気な育てにくそうな生徒は不要」というのが本音だと思うし、受験生の時点でそんな濃い知識を知る必要はないということだろう。
角度を変えて説明したいと思う。日本の大学生で一流企業に入社できるチャンスは新卒の22歳の時以外にない。人生で唯一のチャンスであり、そのチャンスを逃すと特別な場合を除いて2度とないはずだ。
日本では中途採用や高齢になるに従い、就職や転職の条件は悪くなっていく。なぜなら一流企業になるほど「変な色のついた学生」は欲しくないからであり、「ゼロから自分の会社のカラーに染めやすい学生だけ」を取るからに他ならない。これは日本の大企業の文化と言える。
その方が組織として成立しやすいからと言える。それと同じでどれだけ「素材」として「可能性」を見極めるかというのが条件になると思う。一流の素材を使えば一流の料理ができると言えるかも知れない。(よくTVで有名な料理のシェフが自分で市場に料理の素材を自分で確認しながら慎重に食材を選んでいるシーンがあると思うがそういう感じだろう。つまり、素材が良くなければ一流の料理は絶対にできないと言うような.....)
だから、上記の「自分の親譲りの知識でたたき潰す受験生」はそういう理由を知らないから落ちてしまうのだと思う。心の中では相手(面接官)に「(まったくどこから聞いて来たんが知らんが)こっちは、今の君にそんな知識は求めてないんだよ.....」という所だろう。
自分が知っているから、ここぞとばかりに「よし、俺の出番だ!(=俺の知識で注目を一気に集めるチャンスだ!)」と言いたくて言いたくて止められないという気持ちもわからないことはない。
事前に知っていたら、「君、わざわざ自分から落ちに行くことないよ....」と言ったと思う。
まるで受験料数万円を払ってゲームセンターでゲームして「あーおもしろかった!」と言っているのと全く同じだと思うから.......
この時期は、「志望理由」の願書の模範を書くことが多い。特にAOのエントリーシートなどは書くのが大変だ。しかし、書類の1つ1つが勝負であるため気は抜けない。大体働いたことがない受験生に将来の医師、歯科医師像を描かせることにもともと無理がある。特に国立の医学部のAOなんか「こんな試験、どんな人間が受かるのか?」という位書類の段階が厳しい。
例えば、生徒が過去何かの賞を取った時に「その賞を認定した人または団体の証明書まで必要」というケースがあったが、「先生、これ、小学校の時に賞取ったからこの時の代表者は、もう死んでるかも? 証明が取れない、第一連絡がつかない」というようなことがある。そうすると生徒の勲章が1つ減ることになる。AO試験は「人物重視」の面が強い。ということは、つまり「過去の栄光や過去に取った勲章の競争」になる傾向がある。
また、実際の所「推薦やAOの書類など実際受験生本人が書いているケースなんてあるのか?」とか思ったりする。誰かのナビゲートがないと書けない。しかし、書類審査で消去法ではじかれたらかわいそうなので、ある程度のラインは引く、そうしないと生徒は書けないものだ。「形式やしきたりを重んじる閉鎖的なプライドの高い機関」に提出するのだからこそ気を使うというのが正直な感想である。「書けない」「埋まらない」「何を書いたらいいのかわからない」というのが今の現役生の心境であろう。書けなくて当たり前だと思う。
なぜなら学科の勉強だけでも時間が足りないのに当然だと思う。去年の東海の医学部の願書なんか願書の裏すべて志望動機を書かせるものだったと思う。目一杯書くのが当然だから、皆何らかのナビゲーターを持っているのだろうと思うが
上記の質問は、家がドクターの家庭からここ最近の「私立の難しさ」にやっと気がついた家庭からよく聞かれることばでもある。もともと私立は「開業医の子息」が行くための言って見れば限定された、閉鎖された特殊な学校でもあったと思う。
しかし、その学校が今後、よく見えない経済状況の中で「1つの自分の身を守るための資格取得の手段」としての要素として変化を始めたということではないだろうか?職業につながる国家試験等に比較して科目的にも少ないし、生きている間のメリットを考えれば大きいということだろう。
特に新たな層としては、中小企業のオーナーが、「今後、この事業続けてもどうなるか分からん、第一子供にこんな切った、はったの荒波に出すよりは安定した固い仕事につかせた方がいい。景気の急激な波を受けて「明日はどうなるかわからん!」と不安に感じる位なら喰える固い資格を取らせよう。そんな重圧や不安は俺の代でもういい。人間が生きとる限り、子供が職をなくすことはないやろ?」というような感じかも知れない。
つまり愛情から子供を保護したい層の参入からではないだろうか?大学受験は社会背景がそのまま倍率におもしろいほど影響する世界なのでそのまま数字となって影響してくるものだ。そして、そういう今までなかった層が参入するにつれて偏差値の上昇につながったと言える。
そうすると、そういう層の方が圧倒的に受験戦略に強かったりする。だから、むしろゆっくりした医系の家庭の方が長く浪人したりする。あまりに忙しく、近年の私立の難しさもわからず、「浦島太郎状態」のまま昔の基準で今でもレベルを判断したりする。
こういう方達は受験情報よりも親戚やごく親しい知人からの情報を大切にする傾向があるため、全て「親が敷いたレール」に乗って来た受験生も全く理解していない場合がある。
時代の変化に気づかず、親戚も「浦島太郎状態」そして情報を得ている保護者も「浦島太郎状態」、当然今まで受身形で育って来た子供も30年前と同じ基準で「浦島太郎状態」で「えっ、簡単に入れないんですか? 祖父や親から私立はバカでも入れると刷り込まれて育って来たんでそう思ってたんですが....違うんですか???」なんて大真面目な顔をして言ったりする。
共通点として親が昔の国立医学部で今の状況を知らず、子供が私立全敗でどう対応していいかわからない状態か、忙しくて放任状態でいつまでも何の進歩もしていない状態という共通点を持つ場合が多い。
こういう生徒は「危機感」がないため、長く浪人する可能性が高い。最も避けるべきことは「危機感のない生徒」が複数つるんでしまうとお互い安心して平和になって数年が過ぎてしまう所にある。性格的にも素直でいいのだが、親には苦労をかける可能性が高い。
入試制度は、社会背景に応じて「急激に目まぐるしく変化する流動システム」という部分を忘れてしまい、「ものすごくよく分かっている層」と「知識ゼロ」の二極化が起こり、気づかないまま流されるという事態が起こったりする。
目まぐるしく変化していく社会に応じて「変化していくもの」を見落とすとこうなるのではないだろうか?薬学部が4年制から6年制に変わる瞬間に急激に倍率が上がった時や獣医がドラマの影響で倍率100倍近くなった時もあるだろう。映画「海猿」が上映された時に海上保安庁への就職希望者が爆発的に増えたように....
今のような携帯やメールの社会が来るなんて30年前は誰も想像してなかったように...
大学生の就職状況も社会の景気状況たった1年の差で「天と地」ほど異なるように
医学部の推薦入試に一浪や2浪までの生徒が参入できる場合がある。
現役は問題ないのだが浪人生特有の悩みが出て来る。それは何か?
意外にこれが悩みとなる。
それは「試験当日、浪人はどんな格好がベストなんだ?」である。
「スーツの色は?、皮靴しかダメなのか?、写真はネクタイをした方がいいのか?靴下は何色がいいんだ?、髪型はどんな髪型がいいんだ?、どんなバッグ持っていけばいいんだ?、ジャケットやコートはいいのか? もしいいいなら何色?」とか少しでもいい印象を出すために直前になって初めて悩み始める。
女子であれば「スカート型のスーツがいいのか、ズボン型がいいのか?とかヒールの高さはどれ位がいいのか?とか化粧の濃さはどこまでがいいのかとか髪型の印象は?」とか色々出る。
これが気にしだすと意外に気になって仕方がなくなる。
「スーツが紺色ならネクタイは青がいいのか?茶色はダメなのか?スーツがグレーだけどじじくさくないか?もっとみんな明るい色で来るんじゃないのか?」更に気になるとどんどん繊細になっていき
「スーツがこの色でネクタイがこの色ならどうもおかしいだろ???」
とかどんどん気になっていく。会場で自分だけ浮きたくないからだろうと思う。
現役は制服があるからいい。しかし、何も情報を持たない家庭の浪人生や放任主義の家庭の浪人生が何を血迷ったのか当日試験会場にポロシャツやウインドブレーカーなんかを着て来る場合がある。(笑)
田舎の子にもそういうケースがあった。
全くわからなかったから、「一生の恥」のように言っていた。会場の近くにスーツ置いているところはほとんどないだろう。仮にあったとしてもスーツにスニーカーもまたきわめて「まぬけ」に見える。
会場で「あの人、もしかして受験生?」なんてささやきが他の受験生から聞こえたり好奇の目で見られたら最悪だ。だんだん自分の心臓の鼓動が聞こえるようになる。
当然、本人は「とんでもないミスをしでかした!」と当日会場で思う。
会場で浮きまくって、鋭い視線を感じて、浮きまくって泣きたくなってできることなら一秒でも早くその場を逃げ出したくなるそうだ。
試験なんかより、「この集団の中で浮いている自分」がまず耐えられなくなるそうだ。
試験なんかより、この「生き恥状態」をなんとかしたいと思うらしい。
第一、「思いっきり種類の違う自分」が試験に参戦できる勇気がなくなる。
(この格好で集団面接で他の受験生と正対できるわけがない。ずっと下を向いているしかないだろう。面接官に「ん??」とか「君、面白い格好で来たね?」とか言われたら終わりだろう。その場を脱走するしかないかも知れない。)
この時点で失敗である。こういう点にも情報の大切さが現れる。
また、「先生、外見じゃなく中身が大切ですよ、中身が.もっと中身見てくれないと」と反論する生徒もいたが、「外見(印象)悪いとまず中身まで入ってくれないよ、なりたい奴たくさんいるんだし...」と答えたらわかるだろう。
さらに推薦入試会場に初めていく生徒によくあるミス
(1)あまりにも気合いが入り過ぎて早く会場に行きすぎて、誰もいないため不安になるケース(体を冷やしたり、果たしてここで正しいのか?自分だけ間違った場所にいるのではないか?と不安になる。)
ビラまきの業者さえも来てない時間から来て、会場の廻りを何度もぐるぐる廻っている生徒がいたりする。缶コーヒーを飲んだりするが、体が冷えて廻りにトイレがない...
(よくあるケースなので注意、大学もまだ開いていない)
近くの民家を早朝にノックして「トイレ貸して下さい!」と言うわけにも行かない。
もらしたらこんな大切な日にシャレにもならない。第一学校に報告できない。
こういう大切な日に限って起こったりするものだ。
どうしたらいいか?→答:駅に戻り、駅員に頼んでトイレを利用させてもらう。
(2)推薦入試会場の80%~90%が「親子連れ」で来るため、1人で来ている受験生は「医学部特有の雰囲気」に圧倒される。試験終了後もほとんど温かく迎えに来ているため、孤独感を感じる場合もある。
(3)特定の高校から多数来ている場合、会場でつるんでいるため、「アウェイ感」を感じて弱気になる。親戚同士で挨拶などしている場面を見ると特にそうなる。
(4)試験会場の受験業者の宣伝活動を「自分への個人的歓迎」と感違いして喜んだりする。(笑)
初めての参加の場合は今まで見たこともないシーンが次々に目に入り、会場の雰囲気に飲まれるようになる。自分が事前に当たり前のように知っていたら、動揺はゼロか最小限に抑えられる。
「この子らと闘うのか~」と構えるのではなく、あえてフレンドリーに話しかけたりしてリラックスするのもいいだろう。個人面接の場合、自分の前の番号の生徒が「何分かかったのか?」、「その時間と比較して自分が長かったのか、短かったのか?」チェックしておくのも必要だろう。
都会の強豪チームが強いのは、「場馴れ」しているのと「これが当たり前」の情報等が事前にインプットされているから「心の余裕」があるからだと思う。これはスポーツの世界と全く同じで、当日動揺しないための条件がすでに入っているからだと思う。
受験勉強もいよいよ第4コーナーのカーブを周り、私大模試、第3回マーク、記述、メディカル模擬試験(私立医歯薬模擬試験)へと続き、本番になる。
模擬試験で大切なことは「受けるのが楽しくなる」「おもしろくなる」という状況にどれだけ早くなれるか?だと思う。おもしろくない生徒は、学校の中間、期末で「あらかじめ範囲の決められた世界のコピー勉強」から「実力が伴わないと点数が出ない試験」への移行が完了していないからだと思う。どちらが苦しいかというと圧倒的に後者の全国模擬試験で点数を出すことの方がはるかに大変だと思う。
良くどうしたら点数を出すことができるのか?という点を考えて見るのだが、全教科を併行して点数を出そうとしているからではないか?と思ったりする。点数を出すためには順番をつけるとすれば、1、自分の得意科目1教科でいいからまず、まず偏差値60を突破する。1教科でいいんですよ。得意科目であれば、ある程度自信もあるし、1番強い科目ですよ。1番上昇させやすい科目ですよ。そうすると、60突破すると自信がつきますよ。自分で自分を褒めたくなりますよね。そして、その経験というのは貴重な経験であり、その中に他教科の成績を上げる要素やヒントがふんだんに含まれているんですよね。処理能力の高い生徒は複数教科いけるでしょう。それはそれでいい。
しかし、自分でも要領が悪いと思う「努力型」の生徒はまず得意科目1教科に徹底的に力を注ぎ、「偏差60越え」にエネルギーを集中させるんですよ。60行かなくても好きな科目で努力すればそこそこ上がりますよね。これは「小さな成功であり前進」ですよね。その次、2教科目を狙うわけですよ。その次3番目と4番目を狙うんですよ。要領の悪い人間が限られたパワーを1点集中せずに4点とか7点とかに最初から拡げているからいけないんですよね。地引き網で多数の小魚を取るのではなく1本釣りでカジキマグロ(偏差値60)を狙うんですよ。普通の生徒は結果的にその方が早いですよね。そうやって積み上げて最後に揃えればいいんですね。
もう1つは「模擬試験を受けっぱなしにしているから」ですね。もう1回復習するのは本当につらいですよね。できればほったらかしにしておきたい。「受けたことで受験生の義務を果たした」となっているんですよ。しっかり尻拭いをする。考え方に「鍵がかかった状態」で気がつかないことって意外に多いんですね。誰かが言ってくれないと、ずっと要領の悪い状態で継続し続けますからね。また、それを素直に聞けるかどうかという性格の問題もありますが
KKさんという方がこんなことを言いました。(多少わかりやすく修正しています)
成長していない人の共通点をお伝えします。
成長していない人を観察していてわかったのは成長していない人の多くは「自分はこのくらいで大丈夫」と思っているということです。
成長していない人ほど「自分は受験についてすでに良く理解している」とか「自分はすでにけっこうカッコいい」と思っています。
成長していない人と話をすればするほど、そのことが伝わってきます。
第三者の評価だと、30点くらいであったとしても本人は80点くらいに思っていることが多いのです。
そして、このくらいでもう十分と思っているのです。
そのため、ノウハウを聞いても「自分はもう出来ている」とか「そこまでする必要はない」と思って行動しないのです。
その結果、ぜんぜん成長できないのです。ですから、本当に成長したいのであれば、自分の価値観で自分を評価する習慣をやめたほうがいいです。
そして、本音で評価してくれる人からの評価か、実際に、自分がどれだけ多くの人から評価されるかで、自分の実力を測ったほうがいいです。
「自分的には知識が豊富だと思うのに、なぜか結果につながらない」とか「自分的にはやっているのになぜか結果が出ない」と思っている人が多いようなのですが、それは勘違いですので、くれぐれもお気をつけください。
ちなみに、私自身は、このことを学んでからあらゆることにおいて常にまだまだだと思って行動する習慣が身につきました
そして今では、逆に結果を見て、「まだまだだと思ってたけど、実はだいぶレベルが上がってたんだな。」と思うことが多いです。
中学生時代は、自己評価と結果にギャップがありすぎて悩むこともありましたが、やって見ると人間かなり変われるものです。
個別指導だって、家庭教師だって「この講師はウザイ!」と自分で判断して自分に居心地のいい講師や自分に都合のいいことを言ってくれる講師だけ廻りにおくじゃないですか。そうすると「個別指導=わがまま助長指導」になりますよね?
ここでは未完成な人間が未完成の自分だけの思い込みの判断をしてしまう。
時が過ぎるにつれて焦ってしまい、更に判断能力がなくなってしまう。
廻りに的確な冷静な判断をしてくれる人が気がつけば誰もいない。
そこじゃないんですかね?
ダイエットにトライしたことがある人はいかに大変でいかにリバウンドを起こさずにキープしておくことが大変かよくわかっているはずだ。一度成功してもリバウンドしたらあきらめた人が多いと思う。
確実にダイエットに成功するためには厳しいトレーナーが必要だ。
ダイエット中の人:「ダイエット中だけど夜中にラーメン食べようかな...」
数日してジムに行く。色々と数値を細かく計測される。
トレーナー:「あれ!、全然減ってないな...おかしいな...何か食べましたか?」
ダイエット中の人:「...いや...別に何も... 」(恐くて白状できない状態)
トレーナー:「何か食べましたね!、やる気ないなら辞めてしまえよバカやろー!!」
ダイエット中の人:「...すみません...実は深夜にラーメン食べました...」
おわかりのように厳しく詰められるトレーナーにつけばつくほど必死になるからダイエットは成功する。当然、確実に体重が減るプログラムを持っているからだ。トレーナーが厳しければ厳しいほどダイエットの成功率は高くなる。
昔はスパルタの塾も多数あった。中学の塾の合宿で宿題や課題ができない生徒が両手に水の入ったバケツを持って立たされているシーンもよくあったものだ。
今、そんなことをしたら社会問題になり、TVニュースにもなる。学校でも先生が圧力をかけることが禁止されているので授業中立ち歩く生徒、他のクラスに行って戻って来るまで時間がかかるため、授業開始が15~20分後に全員揃うなんてザラにある。
スパルタの塾なんて今の時代はほぼ「ゼロ」だろうと思う。時代に完全淘汰されたと言える。学校でも保護者会の圧力が強すぎて放置状態も多数ある。
言いたいことは持続力のない生徒、自分に負けて流されてしまう生徒はよほどの環境変化と意識改革が必要だ。しかし、そういう厳しい環境は今の時代に実現できない。
理解のある保護者がいても理解のない保護者はすぐ乗り込んで来るし、弁護士だって連れて来る。それに対して試験のハードルは今まで以上に高いままである。
今の時代は意識改革や環境改革が「外圧」によってほぼ実現不可能であるということだ。簡単なことなのだが自分の権利主張で必死になるためいつまでたっても変化なしと言えるだろう。最初から完璧に勉強の習慣が出来ている人間なんていない。
つまり、それさえも実現しにくい社会だと言うことだ。
最初の習慣形成さえ創りにくい社会だと言える。
「そこでどうするか?」が問われている。
つまり、上記に書いたダイエットにトライしているような心の弱い流されそうな人はそこ(意識改革)からまず創らなければいけないということを言いたいんですよね。
そしてそういう場所は実現できない矛盾ですよね。
私は保育園とか学校も含めて学校のイベントを見るのが好きだ。私立高校で教えていたこともあるので「温度差」を認識するために機会があれば参加することにしている。
何十年も学校の卒業式を見たことがなかったため、ある公立中学の卒業式に参加した。そこでびっくりしたことがあったので報告したい。
校長先生が「君が代斉唱、起立!!」と言った時に私も気合いを入れて立った。
その時、立たなかった保護者が何人かいてびっくりした。全員スマホでゲームをしているのだ。
私から見える保護者は人気のパズドラをずっと式の間中下を向いてやっていた。
起立の機会は何回かあったが、ずっと見ていたが最後まで1度も立たなかったのにはさすがにびっくりした。これはまずいだろ?
「これも時代の変化なのかな?...」と思った。更にびっくりしたことが起こる。
校長先生:「今、公立中学の入学式や卒業式ではパトカーが待機したり、私服警官が潜入している所が多数ありますが、わが校ではそれはありません、本日、そういう準備がなく開催できそれを誇らしく思います。」
私:「(心の中で)ちょっと待てよ??....今、警官必要なのかよ??????」
非常に勉強になったと思う。参加しなければわからなかったことだ。そして知人の中学の塾のF先生が学校中をぐるぐる歩いている。そして保護者に挨拶して廻っている。満面の笑みをたたえて自分を売り込んでいるのだ。
聞けばすべての地元の塾の先生が潜入しているそうだ。当然の活動らしい。
このF先生は重度のニコチン中毒で1日タバコ3箱吸うと聞いている。それでも近所の中学の運動会やイベントではチームを創ってリレーに参加している。
廃品回収や清掃活動や地域のイベントにも出ている。
ソフトボール大会の審判まで積極的にやっている。1日朝から晩まで潰れるのに自分から進んでやっている。この先生は塾の室長でもある。
もちろん地域の運動会も参加している。先生達でリレーチームを創って絶対参加だ。練習などするはずがない。そんな時間もないはずだ。
ニコチン中毒の人が急にリレーに出たりするとものすごくきついはずだ。
まず、スタミナがないから。1日3箱も吸っていたら普通走らないし、走れないよ。
それでも走っているのだから「すごいなF先生、これが地域密着なんだな!」と本当に勉強させてもらった。
こういうF先生に比較して大学受験の予備校の先生達はかなり「ふんぞり返った俺様軍団」に見えるのではないかな?と勉強させてもらった。まず絶対に運動会で走るなんて恥ずかしくてやれないだろう。
こういう中学生達が大学受験の大きな予備校に行って満足できるはずがないよなと勉強させてもらった。何か冷たい「授業放送してはい終わり!!」の映画館で映画見ているようにしか見えないだろうなと逆に勉強させてもらった。
中学校の体育祭でリレーに参加しているF先生には本当に勉強させてもらった。「こんな泥臭い活動してるんだ、すごいな!!」と思った。
ある地元の塾生である中学生がリレーで走るF先生に言ったそうだ。
中学生:「先生、めっちゃ速いやん?」
F先生:「僕はね、タバコ吸ってない時よりね、吸ってる時の方が速いんだよ!!」
この先生はニコチン中毒の割にはかなり速かったと思う。(笑)
医学部の面接で「最近気になるニュースは?」という質問が良く例として挙げられているが、受験生の答えというのはおもしろい位類似しているのではないか?と思われる。
例えば、気になるニュースで「阪神大震災」と答えれば、ほとんどが「物質的な援助だけでなく精神的ケアも必要です」とか兵庫医大の入学希望の答えであれば、「チュートリアル」だとか、あくまでも推測であるが類似の答えが続出していると思われる。昨年であれば「いじめによる自殺」であり、今年は「医師不足」、「産科医の問題」だとか受験生の答えはかなり類似するものと思われる。
かつて、獣医のドラマが放送されて獣医学部の倍率が100倍を超えた年度があった。「海猿」の映画で海上保安庁に入りたい若者が激増したのと同じである。その類似した答えが続出する中でどれだけ光る答えを出せるかどうかである。前回も言ったように同じ答えが連続すると面接官も飽きるだろうという理由からである。そう考えると集団面接は、大学側からすれば非情に選び易いシステムだろう。
7人中5人位を瞬時に落とすことは十分可能であるし、非情に効率がいい。時間も短くて済む。目立ちたいがために普通の受験生が絶対に言わないようなことを準備する生徒もいるが得策ではないと思う。異分子と取られる可能性の方が危険ではないだろうか?
たまに開業医の息子で気合の入った跡継ぎで「医療の世界の裏も表も知り尽くした生徒」がいるが、あまりにも答えがリアル過ぎてかえって修正しにくい。つまり、問題点の裏にある部分まで理解しているため「きれいごとが言えないのだ」 逆に説得力があって感心させられる場合もある。
例えば、彼らの答えとして「何で苦労して入ったのにわざわざ訴えられる可能性のある科に行かないかんのですか?」とか「田舎行ったら最新の研究から遅れるやないすか、夜9時にすべての電気が消えるような田舎いきたくないですわ、最新のCDやDVDも見れん所耐えれませんわ。今まで犠牲にしてきたものも大きいんやから都会で青春取り戻したいですわ」とか言われると正直返答に困る。
彼らの意見もしごく最もである。生徒の親も賛成せざるをえないだろうと思う。現代的な損得勘定が完成しているのである。こういう意見を聞くとどう考えても今、起こっている問題が今後完全に解消されるとは思えないものである。ある生徒の父親の言葉を思い出す。
「我々の時代から見れば今の若者はエイリアンですわ!」と
最後は、ドクターコトー先生に説得してもらうしか解決策はないかも知れない。
受験生の大敵として「朝、起きれない」という悩みがある。ぎりぎりまで寝ていてそれから朝ごはんも食べなくなり、頭がはっきりしない状態でだんだんだらけて行く。親が両方とも朝早くからいない場合は誰も注意しないので昼まで寝ている。
ここまで来るともう半分以上失敗しているようなものだと思う。朝、早く起きてはっきりしない場合、少し熱めのシャワーを浴びる。
それによって脳が活性化して「ひらめき」が出たりする。朝を大切にすると1日が長く感じる。それに元々人間は「規則正しい生活を求めているもの」だと思う。
例えは悪いかも知れないが、ホストが引退を決意する理由にこういう理由がある。「朝、規則正しく出勤しているサラリーマンがまぶしく見えるんですよ。自分は最初は楽しいんですけど、酒の飲み過ぎで体を壊し、昼夜逆転して朝、サラリーマンや学生とすれちがっていつまでこんなことやってんのかな?と思うんですよ」というのがある。
また、あなたも友人としゃべる時に中学や高校についてよくしゃべることがあるだろう。例えイヤだったとしても「縛られた規則正しい生活」を送っていた時の方が、生活の中心となり思い出に残るはずだと思う。
それに対して、適当ないい加減な生活をしていたことについてはしゃべらないし、「俺、あの時期、何しとったんかな?」位で記憶にも残らないだろう。
また、大学に入って中退する若者の理由の1つに、「大学は自由で好き勝手にやってて誰も全然協力もしないし、みんな勝手なことやってるから耐えられない、ゆる過ぎて「違和感」感じる。成長も感じないし、こんな生活意味ない」、と新たな自分探しをする友人も廻りにいるだろう。
こういう理由から人間は本来、「規則正しい生活を送ることによって充実感を求める生き物」だと思う。ゆるむのはいくらでも出来る。でもやはり、最後は「心」の部分だろうと思う。
ゆるんでいる人に一言、「今のままじゃ何も残らないし、空白の期間にしたら年取ってから後悔するよ!」と言いたい。
「1秒でも残さない方がいいよ!」と言いたい。
<長期化する受験生>
以上から
「朝が全て」というのが読み取れる。1時間早く起きれば全て改善されるのだがこれがなかなかできない。
「朝」が一番自分に負けそうになるがこれを克服したらいい流れができる。
9時頃に試験開始なら6時起床の状態を長期間リズム化するまで継続した方がいいだろう。それが当たり前になり、呼吸レベルで実行できたらいい。
6の「流されやすい」はあえて強調するために太字にした。これはね、人間ってね、流されてる方が楽なんですよね。心地良いんですよ。
これは受験生に限らず、みんなそうなんですよ。なまけものなんですよ。
なまけたいんですよ。楽したいんですよ。そうでしょ?
でもね、流されてる限りね、何も残らないし、残せないんですよ。
「なまけて心地良い」んだから当たり前なんですよね?
いい例えが「電力」なんですよ。スイッチ入れる時が一番エネルギーを使いますよね。「ゼロからイチにする時が一番きついんですよ。」
何かを変える時って摩擦や痛みや苦しさって当然ですよね?
気持ちいい位のぬるま湯状態ですよね?、現実逃避もぎりぎりできる位のね?、「努力してないわけではない」という自己弁護ももれなくオマケでついてきますよ。(笑)、そうだよね??
「流されている状態」が一番気がつきにくく、長期化の源に近いのであえて強調文字を使いましたよ。ここを変えて改革するのに1年かかるのはザラにありますよ。そしてここに気がつき改革するのは困難ですよ。
<改善された理想的状態>
1.朝起きて少し熱めのシャワーをあびる。
2.ウォーキングや朝の散歩を自分の好きな音楽をかけながらテンションを上げる。
3.その後、耳で英単語のCDや耳だけで理解できるものを利用する。
朝弱い生徒は朝に疲れ、だるさから「否定カラーの気持ち」に心が占領され安い。
改善された生徒は、否定の気持ちが入ってこないように自分を意図的に持っていく努力をする。それが音楽であれ自分のテーマソングであれなんでもいい。
4.朝食はきっちりと時間の余裕を持って取る。
5.疲れや体のダルさもない。最低でも機嫌が悪く、家族に当たるような状態はない。
6.1日、1週間、月間、年間の予定と試験日からやることを逆算して行動ができている。
大切なことは習慣形成、心のあり方、試験日から逆算しての自己管理だと思う。
「朝」に強くなれないとダメだと思う。
逆算を常に意識すると「今」に対する集中度が高まり、今が効果的になる。
つまり、「出口」から逆算して考えるクセをつけるんだ。それに合わせて計画を立てる。
あとは、計画通りにやるだけだ。もし、計画を変更する場合には、全てを見直し、アップデートする必要がある。
飛び越えるべき最初の壁は「今までの自分」だと思うし、今一番大学入試で難しい学部に受験するのに自分が変化しないと何も変わらないだろう?
ある別の分野で成功した人も言ってたな。
「朝の4時から8時までは、眠い目をこすりながら深夜まで効率の悪い仕事の数倍の価値があると...でも95%以上の人は気がついていない」と...
えらそうに書いているが実は私も朝が弱く、かつ機嫌が悪く家族に迷惑をかけたと思う。特に妹や母親に当たりちらして本当に迷惑をかけた。
迷惑をかけた自分に気がつくのが遅かったため、読んでいる受験生には
家族に当たりちらして後で後悔するのは止めた方がいいよ。
(今、ここで書いている人間が現実に後悔して書いているから.....)
周りからすれば迷惑この上ないし、家族のサポートに感謝できていないということだから......
第一に親の力があって初めて世間に生かされている人間が朝から家族に自分の機嫌が悪いことで不快感を与えるなんておかしいよね?
東邦大学医学部教授の有田先生が書いた「脳からストレスを消す技術」という有名な本があり、「セロトニンと涙とストレスの関係」は興味深いと思う。一度「ストレス」の原因を追及する意味でもおもしろいと思う。
受験生であれば
保護者の方は子供が風呂の中でぶつ一人ごとを言うのに気がつかれた人がいると思う。それが二人称の会話体まで来るとかなりストレスが高いだろう。
「●●ちゃん、どう思うこれ?」、「私はね...」のように1人で風呂やトイレで1人2役言い始めたらかなりのレベルまで来ているだろう。
よく街中でぶつぶつ言いながら歩いている人いるでしょ?
同じようになって行くケースですね。
どんどん蓄積されて行くのでストレスの解消法は重要な要素となる。
長期戦なのだから「息切れ」すると失敗することになる。
マラソンで言えば、棄権やリタイアすることになる。
私は今は上記の方法とTV局のアナウンサーが朝がきつくて苦しいという理由から飲んでいる「グリナ」というものを利用している。
(早朝から最高の笑顔とテンションで仕事をしているアナウンサーが利用しているなら効果があるだろうと自分なりに判断したため...)
カルシウムなんて何十年補給しているだろうか?、和田カルシウムからDHCまでものすごい年数継続している。祖父から常に「カルシウム」だけは取れと言われて来た。自転車でこけて骨が折れた後悔があるらしく、総入れ歯だったので反面教師として継続してきた。
生徒には、「あいつ、朝からテンション高過ぎ!」と言われる(煙たがられる?)が、指導記録71で書いた「カーボロイド」の時期から比較すると今は100分の1位のテンションである。
早朝からマグマの噴火のようなエネルギー全開状態で坂道ダッシュ数十本の後、ジャンピングスクワット300回なんてことができた時期があったからまた、人間はそれだけ改造できるという実体験があるため、今はマニアックに「中高年用のテンションの維持の大切さ」を追及するようになってしまった。
疲れていて人に会って不快感与える位ならそういう時は人と合わないとか人の前から一定の時間体力が回復するまで人前から消えるとかね。相手からすれば迷惑ですよね?
それに比べると今は悲しい位のテンションの低さである。それでも周りからすれば異常なテンションの高さに見えるらしい....
サプリメントは効果について賛否両論あるが、長期間研究して選択するものだと思うし、効果的ならば利用した方が良いと思う。
合わないなら止めた方がいい。
「朝に克つ」は本当に重要だと思う。
これはものすごく重要なことだと年を取ってからも感じる。
今は夏はラジオ体操にも行き、参加している小学生よりもやたら元気で異常視されているが.....(笑)
昔はラジオ体操の場所で終わるまで寝ていて、参加証明の印鑑だけもらって帰っていた。なぜなら皆勤すると図書券とお菓子がもらえたからなのだ。印鑑を押す係も田口君という気の弱いやつだったので寝てても誰も何も言わない。
たまに、急に参加した今の私のような「煙たい親父」に怒られたことがあったがその時にはほぼ参加者全員がラジオ体操が終わるまで座って下を向いて寝ていた。悪い影響は伝染するいい見本のようなものだ。
当たり前すぎることだが「ダレ」は伝染する。勉強も全く同じだ。
今は「新しい朝が来た、希望の朝ーだ。喜びに胸を拡げ、大空仰げー」の歌まで歌って真面目に参加している。
大きな声で「おはようございまーす!」と一礼してラジオ体操会場に参加することは大切なことだと思う。
今ならわかる.....
80歳過ぎても朝にスクワットをしている女優の森光子さんや、朝のジョギングをかかさないTOKIOの国分君、企業のイグゼクティブや社長なんかも朝からスポーツクラブで汗を流してサウナに入る。激しい運動でなくてもリズミカルな運動を加えるという点では共通している。有名なドクターや弁護士だって朝はものすごく早いだろう。
朝3時間効率的な活動をしている人間とその3時間をロスしている人間の差が1年間トータルすると1095時間の差になる。日々の微妙な差が最後に大きく差を開けると考えれば理解できると思う。
「俺は朝は弱いんじゃー、機嫌悪いんじゃー、話しかけんといてくれ!」は卒業すべきだと思う。周りに不快感を伝染する「裸の王様」じゃないかな?
今日のポイント:「流されている自分」に早く気がつく
解答用紙はきれいに書く。これはよく聞かされたポイントであると思うが、言ってみれば「採点者への感謝と心づかい」のような気がする。私事で恐縮であるが、かつて高校入試の採点で分担して採点した経験がある。記述の部分の解答になると、「一瞬で読む気がなくなる」解答とか出てくる。実際、読みにくい字の解答は「全く見てもらってない」という可能性はあると思われる。目が疲れてくるため嫌になるという理由もある。
よく新年の年賀状アルバイトが「あまりにも多すぎて疲れて面倒くさくなって年賀状を捨てる」という事件が新聞に掲載されるが、あれと同じような考えになることは否定できない。
例えば、今はコンピューターで瞬時に判断する所がほとんどだと思うが、記号問題で解答がイ、イ、ウ、エ、オ、とする。これを300枚連続でやると当然途中で麻痺してくるのだ。
「あれ?イイアエオだったけ?、たしか5枚位前の解答はそうつけたような、そうでないような?」とか出てくるのだ。頭の中で一瞬違うことを考えると、集中力が分散されて記憶が不確かになるのである。若い先生なら持続力もあるだろう。
もしかすると20年も前の某私立進学高校入試で私の採点ミスと言うか、採点疲れボケ、採点飽きボケで涙を飲んだ受験生がいたかも知れないと思う。300枚以上も解答目の前に積まれてみたら人間、麻痺してミスは出ると思う。第1に気持ちがキープできない。これは否定できない。
「1点さえもミスして記述採点してないか?」と言われれば正直首をかしげざるをえない。
そうすると小論文や英語の記述英作や和訳などは読みにくければスルーの可能性はあるかも
知れない。大体、英作なんて解答1つだけではないだろ?
単純作業が飽きてくるのである。「しっかりつけないと」と思いながら頭の中に一瞬邪念が出て来たりする。入試で記述問題の部分点など公開したらえらいことになるから絶対に公開できないだろう。だから大学は、予備校関係者を嫌う。そういう点で2次の小論文とか面接というのは「僅差の勝負」の中で非常にわかりにくい部分である。
また、女子の生徒が良く書くような「丸文字をきらいだから見ない」とか聞いたことがあるが、本当かどうかわからない。大体、600字~800字を切羽詰った状態で書く訓練を受験生が振り返って小、中、高校と何回やれたか?を考えると無理がある。大体、文章指導というのは本格的に指導されるのは、通常は大学院からだろう。そう考えるとこれまた無理を与える科目ではある。
結論として記述の解答というのは採点者に対して感謝の気持ちを込めて「絶対に最後まで見てくださいね。スルーしないで最後まで読んでくださいね」というたぐいのものかも知れない。高校入試の採点を書いて思い出したが、採点が終わると講堂かどっかが屋台村のようになっていて、出前のすし屋まで出て来ているのに感動したことがある。先生達への「ふるまい」だったと思うのだが、さすが「私立やな~」と感動したことを思い出す。
また、予備校から私立高校の「夏季強化合宿」というものに外部講師として派遣されたことがある。その時に高校2年生の一人が欠席しているので、「この子はどうしたんですか?」と聞いたら「あ~こいつね、今アトランタオリンピックに出てるよ。こいつ、海外遠征多いからあんまり学校こんのよ。でももう大学も決まっているからいいのよ」と聞いて「さすが、オリンピックに出る奴は進路心配しなくていいんや」と思った。
この高校はあまりランクは高くないし、事前の打ち合わせも全くの「ゼロ」だった。そこで心配なので進路指導部長を探して、「どれ位のレベルでどれ位の量をどれ位のスピードで進めばいいのでしょうか?」と聞いた。
外部部隊だから、「それなりの満足度を与えなくてはならない」という当然の打ち合わせだと思っていた。そうすると意外なことばが返って来た。
「あー先生、うちの生徒のレベルね、見りゃわかるよ!」
ただそれだけだった。生徒も「先生、俺りゃ底辺だから、気合入れても無理やで」とか言って来たのに驚いた。「自分で自分の限界を決めてしまっている、そして世間の決めつけたカラーに生徒が自分から染まっていく一面」を見て非常に勉強になった。
そして夜になると、「先生、ちょっとちょっと」と別部屋に通され、そこにものすごい豪華な船盛りの料理が準備されているのに更に驚いた。昼の生徒全体の食事でのカレーには、「具らしきもの」はあまり入ってなかったような気がする。断るわけにもいかず、罪悪感半分で食べたことを覚えている。読んでいる人には、私立高校の見えない部分が見えて興味深いと思う。
お酒も出され、ほろ酔い気分になった所で進路指導部長が気合を入れて話し出す。
「あのね、先生ね、うちみたいな高校ね、急に勉強したってなんもなりゃせんのよ。
でもね、勉強合宿をやる!と言ったら親、みんな安心するんよ。実施することが大事!
それが大事!これが一番!」と来た。
この意見にはある意味で学校経営の重要な戦略が含まれている。
大学もそうだが、私立の恐い所に「世間の決めたイメージに自分から入っていく。世間からそう思われているもの」と生徒が自分で自分を決めつけてしまう所がある。
だからイメージチェンジをしたい私立はよく学校名を変更するだろう。
巷の店で言えば「リニューアルオープン」ということだ。
「過去のイメージからの決別」を意味する上で名前を変えるのだ。そうすれば、人間不思議な
もので多少は新たな期待を持ち始めるものだ。
そこに通学する生徒は、廻りの人間が決めつけたイメージをかなり気にするものだ。
私立や民間である限り、イメージ戦略は重要な要素である。
いい例が「大学のランキングを自分の人間としてのランキング」に自ら刷り込んでしまうのだ。
この「自分が決めた自分の殻」から脱出することは大変だ。社会人になっても引きずっている人もいる。私の知り合いに工業高校から通信の大学に行き、新聞社の取締役まで登り詰め、今年から大学教授になる人がいる。
今でも「工業高校時代のコンプレックスが自分のパワーだったよ!」とさわやかに話をする。新聞社の取締役をやりながら、同じ研究室にいた。完全タクシー通学する院生だった。「自分が死んでも自分が書いた本は永遠に残る。それを残すのがぼくの夢よ!」と常に聞かされていた。当時、Sさんはぎりぎりまで会社にいたからタクシーでないと間に合わないため、通学タクシー代金は莫大な金額だったと思う。奥さんの理解があったからできたのだと思う。
授業中もしょっちゅう研究室の外に出て部下に携帯で指示を出していた。急に会社から消えるので、会社に不信がられながらも博士号まで取った努力は驚嘆に値する。「42歳からの夢への執念」がすごいと思うし、頭が下がる。新聞社の取締役をしながらも常に寸暇もおしんで勉強していた姿には本当に驚いた。
大体、サラリーマン社会で取締役まで勝ち残ること自体がものすごいことである。なれるのはとんでもなく低い確率である。
しかし、今だに謙虚である。なんというか「中から出る人間としての魅力」が本当に素晴しい。世間話をしていても常人を超えた人間的魅力に引き付けられる。
いつも「こういう魅力のある人になりたいな~」と感じさせてくれる。
「コンプレックスをパワーの源にする」そして「コンプレックスを超えた事実」を証明する。
これは、想像以上に大変だと思う。
もう一人、研究室にHさんというおもしろい人がいた。医療関係者や家がドクターの方ならすぐわかると思うが、「ミドリ十字」の元社員である。あの有名な帝京大学副学長まで逮捕された有名な事件である。
今の世代にはわからないと思うから簡単に以下に説明すると
「300名を超える患者が、かってミドリ十字社が製造したフィブリオゲン血液製剤によって肝炎に感染している。言うまでもなく非加熱血液製剤の販売により有罪となったミドリ十字社である。同社は現在はウエルファイド社に合併されている。同社は以前、肝炎に罹った患者の数はおよそ100名と旧厚生省に対して報告した。
事態の重要性に基き、厚生労働省は先月ウエルファイド社に対して、肝炎発生数について更に調査をするようにと薬事法に基づき指導を行った。出産時に大量出血する女性がおよそ40万人いると推定されているので、ミドリ十字が製造した血液製剤を使ったため肝炎に罹患する患者の数は今まで考えられていたよりはるかに大きいと思われる。」
このHさんは研究の傍らにこの事件の全貌を(名前は全て仮名にして)小説を書いていた。
しかし、志半ばにして「くも膜化出血」で帰らぬ人となってしまった。机で静かに亡くなった
と聞いたので書きながら亡くなったかも知れない。線香上げに行って「あの小説どうなりましたか?」なんて聞けなかったのでどれ位完成していたかわからない。もし、出版されていたら
「白い巨搭」につぐ話題作になったかも知れないし、TVドラマ化されていたかも知れない。
奥さんが保存していれば原稿はあるかも知れない。もうないかも知れない。
「未完の大作」がこの記事がきっかけとなって登場するかも知れない。
Sさんは夢を現実のものとし、Hさんはできなかった。
奥さんの反対がなければ書きながら亡くなった作品を世に出してやりたいものだと思う。
<特別集中号>
受験生が逆転するかどうかは最後に自分の腹が座っているかどうかで左右される。
確かに普段はいい加減だが、本番だけやたら強くなる生徒もいる。
普段真面目で模擬試験の結果もピカイチでも本番の試験になるともろく崩れる生徒も全国規模では多数いるだろう。全てが報いられるわけではない。
残酷だがこれも現実だと思う。10代や20代に「本番落ちつけ!」とか気軽に言うがここはとてつもなく難しいと思う。目に入る景色が違うし、みんなが賢く見えて、何度もトイレに走り込む生徒に「落ちつけ!」と言う方が無理である。
「雰囲気に飲まれるな」という方が無理だと思う。
大舞台に慣らさせておくということが重要な要素かも知れない。
「会場の雰囲気に飲まれる、流される」、「では、どうするのか?」
ここは深く解明すればするほど難しい。
受験生の保護者はマラソンのQちゃんを育てた小出監督、なでしこの佐々木監督、野球の野村監督、水泳の北嶋選手を育てた平井コーチ、ボクシングのエディタウンゼント、サッカーの岡田監督とかレアルマドリードのモウリーリョ監督とかの本を読んで最高のパフォーマンスを出すために勉強した方がいいと思う。
特に大試合の前に監督が選手に指示を出した時の言葉は役に立つはずだ。
そういうのを読んでいると親から子供に絶好のタイミングで出せるようになる。
また、何回か落ち込むからその時に絶妙のタイミングで出さないと効果はない。
そうすると「親父、おかん、たまにはいいこと言うな!腹に落ちたぜ!!、感謝するぜ、復活したぜ、ありがとう!!!」となる。
これを「ヘップトーク」といい「これから本番を迎える緊張した選手に対して短くてわかりやすく肯定的な言葉を使いその気にさせるコミュニケーション」のことをいいます。これはアメリカのコーチが多用するものです。
そうすると「自分は理解してもらえている」と思い、共有感が出て来てモチベーションが上がります。ただし、多数のネタを持っていないとネタが尽きてしまう。
これを年間に何度も浴びせかけてやっと闘えるのが現状なんですよね。
そして人間は必ず忘れる、元に戻る。そのネタが1年間尽きないような人間はそんなにいるわけがない。そうするとまたやる気がなくなり落ち込む。
この時には「集中力が全然ない空虚な時間」なのだからこの時間は圧倒的に短い方がいい。ここが最も重要なポイントであり、難しい点だと言える。
大体、未完成な10代や20代前半の人間が遊びたいのをこらえてレベルの高い壁にぶつかるのである。年間に何回もブルーになったり落ち込むのが当然だ。
だから1年間ずっとモチベーションを保てという方が「無理、無理」と言える。
大体、親が子供がわかりきった内容や何度も聞いたことのある内容や外れたトンチンカンな内容や発言を言い続けると全く聞かなくなるものだ。
最初は聞いているが子供の方が詳しいと次第に相手にされなくなっていく。
だから親もこういう点まで研究している家庭は相当強い。
例えば受験校が8大学とする。
Aパターン:「こんなに多数受けてどうすんねん、無理、無理、絞れもっと!」
Bパターン:「この生徒はものすごく緊張するから多数受けさせましょう。
最初はおそらく舞い上がって失敗するでしょう。でも4校目位からほど良い慣れが出て来て本領発揮するでしょう。多少の疲れが緊張感の発生も止めるでしょうし、慣れて模擬試験のようになり後半尻上がりに強くなるはずです。」
同じ内容でも言い方一つで全く変わるはずだとわかるだろう。大切なのは
「なぜ、そうなのか?」という理由に正当性があるかどうかだと思う。
だから、本番前の最後のメール一通の内容でしゃきっとして爆発的な成功を起こす場合もあるから。これはあなどれないと思う。
伝える言葉次第で完全に息を吹き返す可能性は十分あると思う。
「会場の雰囲気に飲まれる」、これは相当の恐怖だと思う。
緊張や精神的動揺は全ての能力を奪ってしまう。特に焦って頭が真っ白状態になり易い精神的に弱い人は練習より10~20%位は本番は下がるものと思っていた方がいい。神風が吹いた人は上昇気流に乗れると思うが....
ましていったん歯車が狂うと取り戻すのは至難の技だ。
完全軌道修正して取り戻した経験はあるが、誰にも通用するとは正直思えない。
これを超えない限り、何度も失敗する可能性がある。
人間の性格はそう簡単に越えられるものではない。
「ここ一番の強さ」を身につけるにはものすごい壁があると思う。
大体、成功までのステージは3段階に分けられる
ここで何のためにやるのか?と言う「心」が完成することと自分を管理して勉強の完全習慣ができるまでのステージ、勉強の土台が固まるまでの地味な努力を継続するステージと言える。「心の強さ」が必要な時期
ここで2年かかるともう1年で3浪が来る。意識の低い生徒はここで2年かかる。いかに早く3浪目が来るか理解させた方がいい。
なんとなくスタートして気がついた時にはものすごくリスキーな状態になっている。ここに気がつかせる理由を考えさせることが大切だと言える。原因があって結果としての現状がある。
ここを本人に強く認識させ、反省させないと本当にまずいと思う。
<自動的に3年突入の理由>
ここでなぜ3年目まで突入して気がつけば後述する「がけっぷちのステージ」に行くのか気がついたことを書いてみたい。
(1)学校でやっていることと入試問題の出題レベルの乖離が大きい。模擬試験と現実の問題との乖離も大きい。模擬試験の判定と現実の判定との乖離も大きい。
特に私立の合格判定に組み込まれたプログラミングは当てにならない。
(2)何回か落ちないと本当に真剣にならない。本当の危機感は持たない、持てない。
(3)18年サボった生徒は昔の自分の基準から見たら相当勉強しているのだが、現実はスタートラインにやっと立っただけ、だから求められる基準値に気がつかない。
昔のサボりまくった自分と比較して努力しているから本人が落ち込む。
(4)46歳まで現役投手だった工藤投手が言っていた。「教えることなんてできない。相手に聞く気がなかったら一緒ですから...」と聞いているようで腹に落ちていないし、行動まで起こしていない。
(5)無駄な結果の見えている出願をして無駄な出費を繰り返し続ける。明らかに無駄なのに出願し続けたりする。数打ち作戦に望みを託す。現在のような状況では一定のレベルまで行かないといくら受けても無駄だと言える。
親はそんな基準は絶対わからないから受けさせるが、無駄受験料や交通費、宿泊費の全国的な合計金額はものすごい金額だと推測する。まるでバーゲンセールの会場に飛び込むかのように受けまくり、落ちまくる生徒もいる。
確かに宝クジは買わないと当たらないが、見える先生には見えているはずだ。
(6)模擬試験の成績が上がって来ると自分を特別な存在と勘違いするようになる。しかし、本番は全く異質なものという認識を持っておくことが必要だ。たしかに成績が上がって勢いづくことはいいことだ。ただし、この試験に滑り止めなんてない。
猪突猛進状態にストップをかけることは難しいし、モチベーションを下げることにもなる。
「成績が上がる=妙な得体の知れない自信を持つ=無謀な勝負をしたがる」このやっかいな状況も出て来る。「そこは止めとけ!」と言っても若者の暴走は止まらない。
「聞かないよね?、」聞くわけがない。理由はまだ悲しんでいないから、本当に落ち込んでいないから...ですよね?、それよりも本命を合格して称賛されたい、「俺をバカにした連中よ、ザマぁ、見ろ!!」って言いたい、言ってみたい。「お前、すげーじゃねーか!」って話題になりたい。当然である。クールになるまで繰り返す。こういうフルコースを経験して初めて気がつくとも言える。
つまり、18年サボって来た生徒が今までの自分を消毒して、浄化して全ての考え方や危機感や現状認識を完全にするためには2年間は短すぎると言うことだ、20%しか入れ替えできなかったら5年かかると言うことだ。 これが最大の隠されて来た原因と言える。長く染みついた幼少期の生活習慣や性格も関係してくる。
「18年染みついた人間の完全リセットが勉強の習慣のゼロからの改善がたった2年でできるのか?」という問題になる。偏差値65まで行くのに1年半かかったとする。それだけではなく受験戦略や受験の仕方やいわゆる「損をしないための知恵」の部分もいる。
そこまで行くのに猶予期間は残り半年しかない。それは何回か落ちないと気づかないようになっている。悲しみを繰り返してやっと本気で取り組むからだ。
悲しみの交換条件として「謙虚さと冷静さ」が手に入るようになっている。
その時にはもう遅い。
例えば中途半端に実力がついて国私立併願してどちらも撃沈するようなケースを繰り返さないと反省しない。しかし、これを2回やるともう4年浪人したことになる。
つまり、2年失敗してそこから知恵を持たずに2回思いつきで失敗するともう4年だ。今さら
工学部に転校して就職しても4歳年下になってしまう。もう引くに引けない。その代わりプレ
ッシャーは年々大きくなる。この何も知らない状態で2回失敗して「気がつけば4浪目」は
気をつけるべき教訓だと思う。
「このわずか2回の判断ミス」がアリ地獄へ突入したらまずいと思う。「失敗は経験、成長の源」なのだが、この試験においては著しく不利になる可能性がある。まして本人が第1回目を失敗と思ってなかったら「俺、1回しか失敗してねーよ!」になる。
10代や20代の若者が1、2回の失敗をするのは当然だ。でもそのわずか2回が4浪目に自動的に蓄積状態を創ってしまう。ここに廻りに誰もアドバイスをできる人間がいなければ「多浪のコピー」が創り上げられる。ここだ!
これで逆算しての「2回のミスとは思わないミス」が大きな地獄への入り口になることが解明されたと思う。パターンは色々あると思うが最大公約数の状況はここに集約されるだろう。だから「進路指導」とはものすごく重要なものとなる。
そして、ここで付け加えるべきことがある。精神的に追い詰められると同じ行動を取るようになる。ネット等で「多浪差別しない医学部」とか「多浪にやさしい大学」とかの情報にものすごく左右され始める。確かに全員、高得点を取るので最低合格ラインがものすごく高くなり、更にサバイバル競争がきつくなる。
自分で「この大学は多浪は取らない!」と決めつけて進路の選択肢を狭めていく。
つまり長期浪人者が情報に吸い寄せられて「共喰い状態」になる。
この情報に左右され始めるともともとの選択肢が狭められてしまうため「絶対に外せない」と更にプレッシャーを自分にかけるようになる。人間と言うのは「追い詰められた心理状況」ではまず外す可能性が高いものである。
「追い詰められた状況を創らない、そこに行くまでに逃げ切る。」これしかない。
イメージ的には最初は4車線の広い道路だったのだがだんだん車道が狭くなり、最後は自転車しか通れない路地裏の小道に入ったようなものだ。
驚くほど同じルートを通過しているのに解明できていない所が不思議でならない。「お前、わざわざ解明すんなよ、ライバルが強くなるやんけ~」と思われるかも知れない。それだけ多くの人が「鈍感」なのかも知れない。また助言する人もいなかったかいても聞いてなかっただろう。
いや、複雑過ぎて放置されて来たのだろうと思う。5年も立てば別世界になるのが入試の世界だから....
基礎構築の2年と無意識にずれ込む2年でもう4年目だ。これが最大の気がついていないか、ベールに包まれていたなんとなくわかっていたが完全認識していなかった「長期化の癌細胞」だと思う。
まして「浪人してからがんばるんや、俺は...」とか猶予期間を高校卒業後に勝手に自分に与えている生徒は上記より1年ずれ込むから3浪が確保されたようなものだ。なぜなら高校3年時が記念受験状態だから....何もやってないのに等しいから...
また勉強の習慣や規則正しいリズムの完成したようになるまで半年かかればこれまた3浪目にずれ込むことになる。今までワガママ放題の生徒が生活習慣を完全に改めるのに半年やそこらで無理だろう。これもまたずれ込むことになる。でも意外に平和状態だから本人は気がつかないようになっている。
また、今まで「本気にならずになんとかなって来た平和人間」がわずか10ヶ月の中でサイボーグのような自己管理が出来て100%勉強の習慣ができるまでにそんなに短時間で出来るわけがないというのもある。また、座ってはいるが全て吸収して栄養になっている状態まで行くわけがない。
わかるよね?残り半年180日で1ヶ月に集中できない日やイベント等で潰れたりやる気のない日を引き算していくとする。1ヶ月に10日あったとすれば合計で60日が差し引かれるから120日で残り実質4ヶ月に減ってしまう。
これはほとんど無意識状態だから気がつかないのも当然だ。
座っているけどパズドラやラインのタイムラインやメール返信をしている時間を差し引けば更に短くなっていくだろう。
毎日、自分に鬼のように厳しくなれないよね?、甘くはなれるけど...
したがってこれもずれ込むことになる。だって自分の「精神的たるみ具合」は計測できないし、外から見えないからね。ここまでで偏差値65まで1年半に「残り半年のずれ込み具合で3年目突入」の構造が見えたと思う。
なぜなら「自分は今までよりはやっている!という認識」はあるからだ。
緊急避難装置のブザーの音は自分には聞こえないようになっている
自己満足の許可は自分自身だけが与えるから...
再度、言おう「自己満足の許可は自分自身だけが与えるから...」
ここまで読んでわかる人にはわかるだろう。「目隠しをさせられてスイカ割り」をやらされているイメージに近い。まっすぐ最短距離を通り、確実にヒットさせるまでに無意識の右往左往状態が自然な3浪目を創っていることになる。
スイカ割りは横からアドバイスが来るが、耳栓をしてやっているようなものだ。
まるで何か「多浪される方はこちらへどうぞ!」という風に交通誘導されて夢遊病者のように崖の方向へ何の疑いもなくロボットのように歩いて行き、崖から落ちて台所の流しに食べカスが吸い込まれて行くように同じ種類の人間が吸い込まれて行くようだ。
また、この部分について深く解明した情報もあまりないと思う。多かれ少なかれ、心の中にある「ちょっとした油断、緩み」が知らず知らずのうちに繁殖し、むしばんで行くようだ。「誰も教えてくれない」というのも影響しているだろう。
「本当に理解したの?」の深さは人間は「驚くべき低さ」でしかないということだ。
そしてそれに気づくのは至難の技だと言うことだと思う。
スピード違反に気がつかないドライバーのような人間に冷静な客観的なアドバイスは耳に入らなくて当然とも言えるだろう。
<入試の輪郭を早く知る>
早い時期にこの試験の背後にある情報を把握して逆算できるかどうかが鍵となる。
(1)どんな受験生が何のために狙うのか?、メリットはどこにあるのか知る。
(2)その受験生やその家族の背後にある本音は何なのか?
(3)どういう選択をしたらどういう不利益や利益があるのか?
(4)この試験の予想できない気がつかないために誰もが陥りがちなミスを知る。
(5)小論や面接や願書作成や適性にどれだけ時間がかかるか知っておく。
(6)誰もが同じことを考えることにより予想もしない「穴」が出る。それを知る。
(7)「なぜ自分が浪人したのか?」の原因を追及して答えを出しておく。
「自分自身のストーリー」、「自分自身の弱点」を知っておく。
(8)国私併願できるのか?、私立のやりにくさはどこにあるか知る。
センター失敗して急に準備することがいかに無謀であるか、2次で本校まで行って落とされることがいかにダメージを与えられるかを知っておく。
(9)志望校の選択や進路指導の致命的ミスを事前に知っておく。
(10)自己管理や持続力の大切さと自分自身の克服方法を知っておく。
特にセンター失敗した後にすぐにモチベーション100%に戻すことが難しいか知っておく。負の連鎖の恐さを知っておく。
特に(10)のセンター失敗は恐いと思う。世の中で最も努力が報われない試験が医学部のセンター試験と言えるのではないかと思われる。そしてまたセンター問題ボケした頭脳で全くタイプの違う私立に気持ちを切り替えて闘えない場合もある。1次うまくいっても2次で本校まで行って落とされると立ち直れないし、そこで立ち直れたらすごいと思う。
「ここからどうやってがんばれるんだよ?」という気持ちもわかる。
私自身はこの輪郭を学ぶことによりスムーズな導入が出来ると思う。少なくとも想定外の出来ごとや直前パニックになることはないと思う。2年で終了するか、それ以上まで行くかどうかはこの「輪郭の早期把握」にあると思われる。
競技に参加する選手が競技を知らないで参加しているようなものだ。
最も多いのは「知らなかった!」、「気がつかなかった!!」だから......
毎年、激変しているのにそこに30年前と同じ感覚で対処している方もいるから
ある一定の層が微差により補欠にかかったりするステージ、その時の
コンディションや状況により突き抜ける可能性のあるステージ
ある意味、このステージで逃げ切るのがベストとも言える。
後がない状態のため精神的呪縛から抜けられない。負け癖というか負の連鎖から抜けられない状態。センター本番だけ何度も失敗し、私立も長期浪人のためハンディを背負う状況になる。ここまで行くとかなり脱出が困難になると言える。いわゆる「崖っぷち」のステージと言える。
長期浪人のハンディのため「絶対に高得点を取らねばという宿命」がかなり自分を追いつめて来る。ここまで来ると受験生と付き合う方もかなりきつい。
そして暖かく見守れる家庭ならいいが、いい加減しびれを切らして来て「いい加減片づいてくれ!、もうどこでも行ってくれ!!」のように家族関係の中で険悪になり受験生そのものがどこにも居場所がなくなってくる。こうなると更に重圧がかかる。
私も保護者の気持ちはわかる。最初は「目標に向かって努力をしている人間」に目を細めるのだが、長期化すると仕事で疲れている時など「何年も道楽している人間」のように見えてイライラして当たりたくなる。
受験生だってそれ位のことはわかるし状況を察することはできる。つまり3重、4重のプレッシャーを自分に乗せるようになる。これも「負の連鎖」を増長させる。
人間的にも未完成な人間がこれ以上ない重圧を抱えて能力を発揮できるか?というのが根本的な理由だと思う。
ここまで来るともう成績ではなく精神的にどう立て直すかが究めて重要と言える。
いや、それが全てと言ってもいい位だ。うまく逃げ切って欲しい。
このステージをどのような言葉で言い換えると最も伝わるかずっと考えていた。
「自分で自分を追い込み過ぎて自爆する」という簡単な構造なのだが....
それは
「必死過ぎて自分で自分に負けてしまうステージ」と言い換えられると思う。
そのためには「ここまで行くまでに逃げ切る」しかないと思う。
構造としては簡単だ、でもその中を追及した情報が今まで無さ過ぎた。
ここに「その答え」があると言える。
これからトライされる方はここに書いてあることを他人の問題と思うのではなく「自分もそうなるかも知れないんだ...」と自分の問題に置き換えて心の中に残して欲しい。そして気持ちを引き締めて欲しい。
ここまで読んでまだフレッシュな現役生は「多浪すると大変なんだな~」と思ったと思う。でもね、今そう思っている皆さんと同じ状態だったんですよ。
今、苦しんでいる多浪生も皆さんと同じく最初はフレッシュだったんですよ。
これだけ受験生とその家族が悩んで苦しんでいる状態があるにもかかわらず、まともに原因を分析した情報もあまり出てこない。これって一種の伝染病みたいなものですよ。
思いっきり簡単に説明しますよ。
例えば私立6校受けるとしますね。最低3年分分析するとするでしょ?
いいですか、4教科に3年かけると12題ですね。
その12題を6校受けると何題ですか?72題になりますよね?
これを高校3年の8月から始めると1ヶ月14題ペースで行かないと間に合わないんですよ。ここ重要ですよ。
でも1ヶ月14題は無理ですよ。わかりますね。2日に1回難解な問題解くのきついですよ。それ残り6ヶ月間もずっと継続できないですよ。
やっても苦しいだけだし、基礎のない状態でやった所で何も残らないですよ。
これでギリギリ間に合うんですよね。でも基礎ができてないと意味がない。
また、復習や毎日決めた自分の勉強ができなくなる。
人間だから全くやる気のない日だって出て来て当然ですよね。
最低3年見たとしてもこの超人的ペースになりますよ。
それより8月までに戦える基礎力ができるかどうかだって疑わしいでしょ??
基礎ができてない生徒は夏までに揺るがない基礎力を創っておかないと解けないですよ。ね!、もうこれだけでわかるでしょ?
1ヶ月に14題の解析ってきついですよ、やってみたらわかりますよ。
それに学校のテストや全国模擬試験の予定も入れてみてくださいよ。
もう見えて来たでしょ??
無理でしょ?
そのペースでぎりぎり3年分の研究ですよ。
もともと時間ないのに油断して「お決まりの直前パニック」でレースに参加しただけになりますよ。
この状況にセンター10年分と2次対策加えたらどうですか?、小論文や面接や適性や願書作成まで加えたらどうですか?、当然わけわからないまま1年目突入するのがわかるでしょ?
この当たり前の事実を誰も教えないから2年、3年と押し出されてしまう。
漠然と飛び込むからね。逆算しさえすればすぐわかるのに誰も教えないから後でとんでもない苦しみを味わうことになる。
ここで1年目終了ですよ。よくある記念受験にもならない「から廻り受験」で終了ですよ。これで上の記事ときれいにつながったでしょ?
誰も教えなかったらこうなりますよ....
ここですよ、ここね、現役はよく読んでね!!!
でないと同じ運命になる可能性がありますよ。
今、苦しんでいる多浪生もここを読んでいる皆さんと同じく気がつかずに他人ごとのように初年度終わってしまったんですよ。そこで上の記事につながって同じようになって行くケース多いですよ。
「ここを読んで体に電流が流れる位気がついた人は逃げ切れるんじゃないかな?」
そう思いますよ。
頑張ってくださいね。
自分で気づくことが一番大切ですよ。忘れないでね。
そしてね、簡単に言えばね、ここに書いてあるこの記事の内容の逆を早くからやればいいんですよ....意識してやるだけでも全然違いますよ....
皆さんがフレッシュなままでね、この試験を逃げ切れたら幸せなことですよ...
これで十分見えたでしょ?、ここまで教えたんだからがんばってくださいよ。
PS:参考資料
<医歯学部受験指導記録51>
「~なんとかしてやりたいが(マイナスの無限ループ)~」
皆さんがこの状態に行くまでになんとか逃げ切って欲しいと心から思う。
指導記録がだんだんポイント紹介などのようになって来ているようだが、まあいいだろう。年明けまでわずか90日となり、推薦やAOの願書受付も開始されて「緊張状態」に入り始めたと思う。家族との「夕食の団らん」もだんだん口数が少なくなり、ぎこちない状態に入っているかも知れない。
父兄の中には「寝ていない方」、「好きなことを子供の受験が終わるまで制限される方」、子供より先に寝ない父兄の方などは、自分がつぶれてしまうと他の家族が大変になるので止めた方がいいと思います。しかし、受験生に「普通にしてくれ」と言われてもなかなかできないことも理解できます。よく受験生の父兄が「受験がこんなに精神的にしんどいとは思わなかった」と口にされます。
これを読んでいる受験生にひとこと「ボクサーの妻が夫が殴られてKOされると同時に会場で見ていた妻も病院に運ばれる」ということがあります。つまり、親も何らかの形で「同じ痛み」を感じているのですよ。親子の愛情はどこも純粋なものですよ。気がつかない受験生にさらにひとこと加えておきます。
「子供の受験が終わるまで親はどこに遊びに行っても楽しくないんですよ。ゆっくりしているようでしてないんですよ。しているふりをしているんですよ。何も言わないけど精神的に同じように悩んでいるんですよ。」もう大人なんだからそれ位は気がつくこと!
子供がんばっているのに心配しない親いないですよ。子供より早く寝てても目つぶって心配しているんですよ。受験近くなると朝一番に「あなた」のことを考えてるんですよ。そのことを忘れたらダメですよ。
次によく父兄の方が「あの直前のがんばり」を最初からやっていればいいのにと言われますが、それができたら苦労はありません。あまり早くからやると「スタミナ切れ」を起こします。
ただ、「落ちて改心する」「社会に出てから改心する」「頭を打って初めて改心する」「した方がいい苦労」というのもありますからね。
例えば、現役で合格した生徒が天狗になり、自分を過信して「自分以外がバカに見える、他人を下に見る、弱者の気持ちがわからなくなる」というのも大きな問題ですからね。こうなると現役で合格した方が良かったのかどうか?
子供の人生を長期的スパンで見る必要がありますよ。いずれ、患者からつるし上げられて、「人の気持ちのわからん医者だ」と悪評立てられて「相当のつけ」が後で廻って来ますからね。例えば、「他人の葬式」と「自分の身内の葬式」は全然ちがいますよね。初めて身内がなくなって葬式の意味がわかったりしますよね。自分の身に降りかからないと絶対にわからない。
挫折を経験しないと「調子に乗っていた自分」に気がつかない。短期で判断するのではなくて長期で判断することも必要ですよね。人間って何十年も立ってやっと初めて気づくことばかりですよね。「俺はこの年までわからんかったのか、情けない」ということは結構ありますからね。今日の記事は父兄向けのカウンセリングになったような気がしますね。
かつて有名な進学塾の先生が言っていた詞に次のようなものがある。「塾を辞めて自分の力でやると言って退塾して行った生徒の末路は悲惨な結果になる」ということだった。未熟な判
断でやって見るが、結局うまく行かないという意味だったと思う。
昔、ヘビー級チャンピオンにマイクタイソンという信じられない強いボクサーがいた。ニューヨークのブルックリン出身の貧民街出身だった。育てたのは名トレーナーのケビンルーニーだった。
ところがチャンピオンになった途端に、取り巻きができ、つらい練習もしなくなり、トレーナーを解雇してしまった。その後は離婚はするわ、暴力事件は起こすは急速に転がるように王座転落していった。信じられないほど弱くなっていった。
スポーツなどではトレーナーや監督が変わることによって活躍したり、全くダメになったりがよく起こる。例えばPL学園高校時代の清原選手を見ていれば、かなりの回数ホームランキングになって当然だろうと思っただろう。でもそうはならなかった。また、マラソンの高橋選手だって小出監督の元を離れると同時に独立してダメになったような気もする。
バンクーバーでフィギュアスケートで胴メダルを取った高橋大輔君も怪我をしてリハビリから逃げ出した時期もあったが色々な人が協力して「チーム高橋」が出来上がり今回の銅メダル取得につながったということだ。
自分のためでなく、誰かのためにもがんばるようになるとモチベーションはなかなか下がらない。ここに「強さ」が出て来るのだろうと思う。
受験のような世界では実力があっても精神的にもろいとうまく行かない世界の典型だろうと思う。つまり、「自分だけでやる」というのは「自分だけの世界で全ての答えを出さなくてはならない」ということになる。ここに怖さがあるような気がする。
だって誰もアドバイスしないのだから....
自分が神であり、全ての答えになるから......
子供にきつく言えない親だったらどこへ言っても自分が神だから
(実際は無知な神なのだが.... )
自宅浪人で成功した生徒はかなり精神力が強いはずだ。
まず、浪人中ほとんど人と会話しないだろう。地方で自宅浪人でもしていたら家族と黒ネコヤマトの宅急便に受け取りサインをする時に挨拶する位だろう。
また近所に顔が知られているため、外出もしにくいはずだ。
変に知人と出合って今の状況を説明するのも面倒くさい。
自動的に「引きこもり状態」を選ぶだろう。その方が楽だから
誰かの敷いたレールに乗る方が楽である。
人恋しさから来る孤独感も相当なものだろう。でも全て自分で答えを出さなければいけない。
答えは全て自分の頭脳から出さなくてはならない。ペットに相談しても答えは出ない。
これはきついと思う。他人に管理された方が楽である。確認もできる。
もし、廻りに有効なアドバイスができない人間に囲まれていると、「オールオアナッシング」でしかないということになる。本人が間違った方向に1人でオールを必死でこいでいて気がつかずに廻りがただ「ガンバレ!」と言っているとどんどん間違った方向に必死でオールをこいでいくということになるだろう。よく考えると怖い世界ではある。
長く浪人しているとある1つの反作用が起こる。それは成績が上がる(長くやるから当然上がる)のだが、それに反比例して「心の柔らかさ」がなくなると思う。つまり、人のアドバイスに対して「そんなはずはない!、お前に何がわかる。現に数字で俺の力は証明されているんだ、うるさい、そんな話し聞きたくないよ。ほっといてくれ!」となることだと思う。
保護者の方が年を取るにつれて「頭固くなっていて若い時の柔軟な思考ができなくなる」と嘆く場合があると思う。私もそうである。それに近いのではないかと思う。
なんというか「認めくない事実を自分で強制的に「そんなはずはない!」と打ち消す心が年々強くなっていく。」という表現が適当ではないだろうか?
環境や置かれた状況の1つ1つを検証していく必要もあるだろう。知らず知らずのうちに視野が狭くなっていく自分を破壊しながら進むべきだと思う。この病気は目に見えないうちに繁殖していくから....
長期化して負のループに巻き込まれた時の悲惨さ、苦しさ、脱出の難しさを見ているだけに気をつけて欲しいと思う。
よく願書とかに自分の活動の履歴を書かせる大学がありますよね?
なぜだと思いますか?
多くの人がリーダーシップやコミュニケーション能力と答えると思うんですよね。それはもちろん間違ってないですよ。
他にもあると思うんですよね。試合とかに出ると負けますよね。
そうすると悔しくて「自分の弱点は何か?....」と考えるんですよ。
その考えた経験が貴重なんですよ。そういう人が実績出すでしょ?
だから志望理由書や推薦書に受賞暦書かせる所がありますよね?
ここで軽くサークル感覚でやっている生徒と本気で打ち込んだ生徒の差もわかりますよね。
最初から強い人いないですから弱点を直し、克服し続けた人が頂点に立てるとも言えるでしょ?忍耐力が入りますよ。頂点取るにはね。だからこの時点で忍耐力が証明されてますよね。
資格取得も一定の期間集中してやらないと取得できないでしょ?
だから志望理由書で資格取得のところが書けなくて困る人もいるでしょ?同じ理由だと思いますよ。
勉強だけではない部分が時代の流れと共に重視されているのがわかりますよね。「自分の今までの人生の中で最も誇りに思うものを理由と共に書け」とかありましたよね?
そしてそういう活動経験は自分が社会に出た時も通用するんですよ。
最初から100%完璧な人間はいないですから、自分の弱点がわかると人の助けが必要になりますよね?、そこで感謝して人とうまくやることも考える。それが最終的にチームワークにもつながる。
つまり、「自分の弱点を追及し、それを改善するために何をしたか?」という経験ですよ。これが重要ですね。
もう一つは敗北して悔しくて謙虚になることですね。うぬぼれないことですね。
試合に出たりすると「傲慢さ」もなくなりますよ。また自分自身の弱さを知ることによって見栄を張らなくなりますよ。
私なんか何十年も投げられて、殴られて蹴られて痛い思いをし続けてやっと「上には上がいる」と知って落ち着きましたよ。もし武道をやってなかったらね、「謙虚のけの字」もなかったと思いますね。多分単なる腐った人間だったと思いますよ。武道から学ぶことって今思えばたくさんありましたからね。
だから活動していないってことはね、ある人に比べて「そういう経験値がない」ってことなんですよ。そういう経験のある人間の方がいいんですよね。そのチャンスさえ取ろうとしなかったってことですよね。
参考にしてくださいね。特に推薦入試で逃げ切りたい人はね。
何も知らない人はね、「どうしてこんなことを書かせるんだろう?、書くことないよ」で終わってしまうんですよね。でも自分が患者さんだったら人間味のある色々な活動経験をしてきた先生の方がいいでしょ?
そういう人の方があなたも心を開きたくなるでしょ?、またねいい患者ばっかりじゃないですよ。文句つけてくる人もいれば言うこと聞かない患者もいるんですよ。
風評被害も大きくなりますよね。
小児科だったらモンスターペアレンツだってたくさん来るわけですよ。子供だけでなくうるさいお母さんだって扱えないといけないんですよ。言われますよ。
すぐ「あの先生は頼りない」とか「対応が悪すぎる」とかすぐ拡がりますよ。
サービス業だからどんな人でもねある程度幅広く対応できないといけないんですよ。
それとね、「体力はありますか?」って聞かれることあるでしょ?、あのね
疲れやすいと機嫌悪くなったり、顔に出たり、すぐ言葉に出たりしたらね
仕事上まずいでしょ?、わかるでしょ?
患者さんから見たらね「.....あなたは先生ですよ。.....」
経験すると思いますよ。疲れていてね、悪気なくいった言葉がね、患者さんがじゃけんに扱われた、「あの先生にこんなこと言われた!」ってね
廻り廻って耳に入って来た時に絶対後悔しますよ。
早いですよ、そこで気がつきますよ。
疲れていても「いつも自分はスマイル、スマイル!」ですよ。
安心させないと...患者さんは来る時に緊張してるんですよ、敏感ですからね。
あなたもそうだったでしょ?、先生の言う言葉を一言一言しっかり聞いてたでしょ?
勝手に表情や言葉からね、敏感に感じちゃいますよ。
だから体力や忍耐力の重要性がわかりますよね?
もし、ペーパーの点数が同点だったら? 言わなくてもわかりますよね。
ボランティア活動等と記載してある場合は山ほど活動している受験生も多いから注意書きされている可能性もありますよね?
医学部再受験成功マニュアルという本がある。また、入試成功マニュアルという受験生向けの本も多数ある。こういうマニュアル本に頼ることがいいことか悪いことかは別にして情報を仕入れて判断することは大切なことだと思う。
しかし、忘れて欲しくないことは成功マニュアル本の著者や体験記を書く人は、「改めて紙面を準備されて書いてください」と言われると書く人間が「微妙にかっこつけたいという心理が出てくる」ので本当の重要な要素が抜ける場合があると思う。実際はそんなスマートに終了するものでもないことはこれを読んでいるみなさんもわかるだろうと思う。
むしろ、「こういう部分で大失敗した。だからやるなよ」という恥も外聞もない失敗マニュアルの方がはるかにためになると思う。どこかが出版してくれないだろうか?「縁起が悪い」といって絶対に出ないと思うが、失敗の疑似体験の方がためになると思う。
しかし、最低3000部ははける予想がないと出版社が動かないと思うので無理だと思うし、こんな本が表に出ることはないだろう。
かつてF出版やB社の有名な作家の手伝いをした経験から言えば、「こういうことは書かないでくれ」、「こういう風に変えてくれ」と色々な制限が出版社から伝えられるのでかなり元々の原稿から変えられてしまうのでしらけたことがある。
たくさんの人が目にするという前提を考えれば、自分を美化したがるという気持ちが出て来て当然である。「物」として残るのだから。書けるチャンスを得た人には記念である。うれしくなって当然だ。友人、親戚一同に得意満面で配るだろう。
例えば、次の文を読んで欲しい。ある生徒の体験記である。
<ここから>
「朝から晩まで僕は大阪ミナミのジャンボカラオケにいた。親戚がその時の僕を見るに見かねて修行僧が行く山梨県の山奥の「滝に僕を打たせる」ために車で拉致してぼくを強制的に連れて行った。その後、僕は家を出た。行くあてなどない。
住み込みのバイトを探した。そして喰わないと死んでしまうのでダイハツの工場で単純作業1日13時間をやった。死ぬほどきつかった。油だらけの軍手をはめて手がしびれて来た。手がしびれて「はし」が持てないのでごはんが食べられなかった。すぐにこんな仕事やってられるかと思い3日で辞めた。そこから逃げたという方が正解だ。
「いったい何をしてるんや俺は?」と初めて反省した。
(彼によれば、周りが全て「人生訳ありの労働者」に囲まれて自分が医者の家の息子であると最後まで言えなかったそうだ。周りは刺青の入った犯罪歴のある人、夜逃げした人、借金で追われている人、警察に何度もお世話になって何度も刑務所を往復している人、事業に失敗した人達だらけでその中に1人だけ「いいとこのボンボン」がいる姿を想像して欲しい。(笑))
この時ぼくは初めて入試に本気になったように思う。今までは自分の責任から逃げていた。正直もう遊びに飽きたというのもある。僕は、携帯電話の悪友の番号を全て削除した。自宅の電話に悪友からかかって来ても「家出した」と全て親に伝えさせた。」
<ここまで>
どうだろう。どこかでかっこつけた体験記よりこの方がよっぽど説得力がある。全て書きたいが、ゼロからの人間がいかに改善したかが、たったの数行でわかる。この生徒は今は素晴しい人間に改善している。本当に思い出に残る生徒だ。
確かに成功本にも良いことはたくさん書いてあるが、最後は微妙に「きれいごとのオブラート」にさわやかに包んであるような気がする。できれば恥を隠したい気持ちもわかる。
ヒーローになるチャンスが来たのだから当然と言えば当然かも知れない。
専門家というのは、「あらゆる失敗をしている人間、あらゆる失敗例を知っている人間のことを言う」と有名な人に教わった。
例えば、3年浪人して私立医学部に入った生徒がいるとする。高校時代さぼった生徒だ。
1浪目で高校時代のつけを取り戻す期間、そして自分の意識も低く、親子喧嘩もよくする。
1浪目は受験のシステムもよくわからないうちに終える。また点数も全然伸びない。
最後までE判定で終了、全く情報も入れておらず、流れるように終了。
2浪目で本気になってがんばるが、最後の詰めがうまくいかずまた浪人、そして3浪目という受験生は非常に多いと思う。
(個人的には1年目は実戦力はついておらず2年目からが本当の浪人だと思う)
言いたいことはごく普通の意識も何もないごく普通の「さぼって来た状態」から初めて入れば、「自動的に自然に3浪まで流れてしまう」ように見えるのである。
よく言いますよね。
「1浪の時まで何もわかりませんでした」と
大切なことは「気づくこと」ですよ。これでたぶん1年マイナスできたはずですよ。
そこを「どれだけ危機感を持たせるか?」
「どれだけ聞いてくれるか?」
「聞かせるか?」
そして「行動を起こさせるか?」の方がもっと大切だと思うんですよね。
さすがに反省して親や先生の意見に対して「聞く耳持ってなかった、全て自分のエゴだった」と。「今思えば、2年目で終了できた。」と振り返って思っている大学生は多いと思うのだがどうだろう?あるいは、「聞いているようで聞いていなかった。変なプライドが邪魔した」とかね。
(「やっぱ、浪人時代は、俺の性格からしたらどう考えても3年かかっているな。俺、わがままやし、変にプライド高いから」と今でも納得できたらそれはそれでいいと思う。
「これじゃ、まずいな」と自分自身で気がつくのに1年丸々かかっている。)
これからの受験生に大切なひと言を!
たぶん言っても言ってもこれからも絶対に繰り返されると思うが、書いておこう。
「お前の説教うざいんじゃ~」という人は同じ道をたどるでしょう。それに対して
「待てよ、この人は僕よりもはるかに多くの生徒の失敗例を知っているはずだ。
なら自分の損になるんだから聞いておいた方がいいな」という人に伝言します。
「成功は真似るのは難しいが、失敗は、そっくりそのまま同じ失敗をする」
ということです。
もう一つ出しましょう。イタリアの思想家マキャベリの言葉です。
「天国に最も早く行く有効な方法は地獄に行く道を熟知することである。」
でもね、気がつかないんですよ。本当に気がつかない。
何回言ってもわからないのが人間ですよ。
そうですよね?本当に危機感を感じるまで時間がかかる。
でも、その失敗が最終的に自分の先生と言えます。「損」しないと本気になりませんからね。
自分で「気づく」ことが大切!ですよ。
人の意見も聞いて実行しないとね。
すみませんがご父兄の方にも伝言しておきます。受験勉強が長引くと「こんなことなら早くから準備しておけば良かった」「いつ片付くんか待つ方がしんどい」
とよく言われます。
でも待たせている受験生もそれは十分よくわかっているので口から出る前にのど元あたりで止めておいた方がいいでしょう。
意味のない「親のため息」、「小言」、「親戚の小言」、「親戚一族からの比較」等にうんざりしているケースもありますからね。
聞いてないようで聞いてますし、それに悩んでいる場合多いですよね。
「地元で浪人してたら気が狂う」と言って都会で浪人するケースなんかまさにそれですよね。
日本全国、親の心配も全く同じですよ。
高校時代ガチガチに細かい指導で有名な高校出身の生徒で長期化するケースで管理の緩い所にいたケースではどうなるか?
(1)「問題集やれ!」と言われたはいいがやらない。
指示を出して「やったかどうかのチェックがされない」と何の意味もない。
その時は「やらなければ!」と思うがすぐ忘れる。
言う方は楽だ。「やった方がいいよ!」と言うだけだから。
大切なのは本当にやったかどうかの「チェック機能」だと言える。
(2)好きな勉強ばかりして「ムラ」だらけになる。
10のうち、数学が8、残り全教科が2なんてザラにある。苦手意識が消えない。
嫌いな科目があれば、「好きになるまでやり込む」が原則だと思う。もう1人の心の中の自分が「やらなければいかんやろ?」と問いかけたはいいが、「別になんとかなるやろ」と許可を出してしまえばすぐに3浪目が来る。
「楽をしたい自分」に許可を出してしまう自分がいる。
そこだけの部分かも知れない。
(3)高校生の場合、だんだん入試モードに入っていって気合だけの「夏の我慢大会」のような学校の強制長時間補習を受けて、わけがわからないまま無駄に過ごして、もう一般入試に突入して「一浪目が事実上の現役」で一年ずれてスタートする。
何もできないまま、知らないまま卒業式で校歌斉唱して終了する。
浪人して基礎を完全定着して、「自分で問題を処理しながら、日に日に成績がうねるような「見えた!」というようなたまにはワクワクする実感を感じる「次のステージ」にどれだけ早く流し込めるかが問題だろう。
初めて自転車に乗ろうとした時、最初は後ろを支えてもらって共に走る(基礎)、そしてある日突然、補助の手を離してもよたよただが走れるようになる。その期間までをどれだけ短縮できるだけかの話だけだと思う。
そこまでの究極に「合理化された効率的な流し込み作業」、プラス「自己管理」と「心の問題」、この3つのどれもが欠けてはいけないが、この3つが揃えば射程距離までは早く届くだろうと思う。
「心の問題」は当たり前の「悲しみ」や「屈辱」が変えてくれると思うし、それがない限り変わることもないし、危機感も発生しないと思う。自分にそれがないと思うなら、すぐに進路変更した方がいいだろう。
この試験、クラブと一緒でさぼったり、辞めたりすることは自由ですよね。やりたくない時だってあるに決まってますよ!辞めたい時だって何回もあるでしょうしね。
「理由付け」ないなら「やる理由」創るべきだと思いますよね。でないとエンジンかからないし、「持続力」なくなるし、追い込みの伸びしろだって出ないですよね。
PS:この指導記録やHPのいたる所に長期化する原因や改善点は多数書いてある。おそらく80%以上は書いてあると思う。
長期化した場合の苦労や脱出の大変さを知っているからこそ情報提供しているにもかかわらず、今だに同じ失敗をしているケースが多い。
「ちゃんと読めよ、学習しろよ、そして気づけよ!」と願いを込めて書いているのだが全く改善されていない。「どうしてこんなに同じ原因で同じ道を歩んで同じ苦しみを味わっているのだろう?」と不思議で不思議で仕方がない。
「ここに書いてあるだろ?」、「もっと早く気がつけよ!」と言いたい。
「同じ苦労をしたいのだろうか?」と思えて思えて仕方がない。
<指導記録>
もともと指導記録だったので指導記録も書いておこう。今、東海大学の英語のセルフ模擬試験だ。東海は理科1科目という魅力と英語の長文が1題というのが受験する側からすれば最大の魅力だ。
ということは1番の長文をいかに攻略し、最後の英作をいかに書くかが最大のポイントになる。ただ、受験生が受け易いということは当たり前のごとく「倍率の増加」につながる。毎年、文系崩れの受験生が帝京だけを狙うのと同じだ。
科目が選択できるということは、誰にとっても魅力であり、高倍率の引き金となる。
これを「自分だけのための好都合な試験」と勘違いする人間が多い。
同じことを考えている人間が何百人もいると考える位でちょうどいいと思う。
小論文の内倉先生が急遽、やむをえない事情で休校連絡依頼の電話がかり、推薦が近い生徒の小論文の代行と面接シュミレーションを行った。早く到着したので医大小論文短期速習(基礎編)のDVDを見直した。
宣伝を意図的にやっていると思われても全くかまわないが、この基礎編DVDは非常に良くできている。とりあつかう内容も「医療ミス」のテーマを使用しながら進むので非常にわかり易い。てっとり早く指導法を再確認するには最高最適のツールである。
とにかく携帯世代の生徒は漢字を忘れている。「誤字脱字は減点だぞ」と注意しながら進む。もう1つは「そのまんま日常会話を文にしたように書く」癖のついた生徒が多くなっていることだ。「携帯メールの長文化」である。こういうのを見ていると長い文をかけなくなるのが本当にわかる。
そう言えば急いでメールを打つ場合、「これで用件わかるやろ」といって送信する。その時に書いたメールのような文が複数接着されたような論文と言った方が想像しやすいかもしれない。携帯は日本人の国語能力を自然に低下させる最大の武器だろう。無理もない。ボタン押したら漢字はすぐに出てくるのだから。
「辞書引け」と今の生徒に言うのは無理かも知れない。
漢字検定の人気復活や漢字を当てる「ネプリーグ」のような番組は携帯やパソコンで低下した能力を復活させるためにはいい傾向だと思う。
面接シュミレーションは「沈黙の空間からの脱出法と準備した原稿の使い方の指導」だ。
更に「視線の位置」「複数方向からの質問が来た場合の姿勢変更」「1人称の使用法」、「入退場のやり方」、「椅子の使い方」等の基本的指導である。
医学部や歯学部において避けられない科目として小論文がある。特に初めて書く場合、長く書くネタがないのと、長く書いた経験がないから「日常のメール」をいくつか貼り付けたような文章になる。一見すれば、「おかしな短い自分の決意文が何回も登場するような文」になる。(メールをコピーして何度も貼りつけたような文になるのが最初の状態だと言える。)
そして、そのおかしなメール決意文を必死で何回も繰り返して残りマスを埋めようとする。
携帯電話文化の普及の悪影響と言うか、「書く、そして創り上げるという能力」を減退させて
いる。おまけに自分の書いた漢字に自信がないため、平仮名が多数登場してくる。
漢字が自動的に出て来る機械を常に所持しているため当然と言えば当然だと思う。
つまり、「書く」という自分自身の行為にものすごく距離があるため、「書類の志望理由、自己推薦書、面接の応答の下書き練習、本学を選んだ理由」等の「書く」という能力が多数必要とされる現実に直面して初めて焦り出す。書けない自分に直面して焦りだすのはもう秋になってからということになる。毎年、繰り返されている状況である。
小論文の先生に聞くと最初冗談かと思ったが、感情を表すために携帯の感情を表す「絵文字」を真面目に原稿用紙に入れて来るそうだ。(笑)
記述模擬試験を苦手とする場合の生徒も、「あらかじめ答えのある問題」には強いが自分で「書いて創り出す」という所に「ものすごい距離」が出来てしまっている。
毎日、「つまらない短文メール」しか打ってない人間が急に「人に読んでもらう公式文書」が
書けるわけがないというのが現実だろうと思う。
しかし、大学の教授という人種は「ことばに味わいや格調を感じる人種」でもあり、「ことばの意味やことばそのもの」をものすごく大切にする人種でもある。(だから教授であり、研究者になっているのである。)
逆に言えば、「書くこと」が苦手な人間が多ければ多いほど「差」を開けることができる。点数が同点なら「勝ち」を最後に引き寄せることもできる。現在のような「微差」の試験であればあるほど点数が競った場合の「最後の判定勝ち」を勝ち取ることもできると言える。
自分が逆に「選ぶ立場になって考える」、その視点を忘れないようにして欲しい。
残りの定員の1人を選ぶ時を想定し、自分が選ばれるように全てにおいて準備すべきだと思うし、そうした方がいいと思う。
受験生の中には毎年、合格体験記が詰まった本を集めている生徒や保護者がいる。
出版されるということは3千人から1万人はいるのだろうと推測する。
だって売れない本を出版社が出すわけないし、あらかじめどれだけ売れるか調べていると思うからね。今は確実にある程度売れないと出さないからね。
昨日も書いたと思うが体験記をいざ書くとなると親や親戚が入って来て「そんな恥ずかしいこと書くな、訂正しろ!笑われたらどうすんだ、知人が読んだらどうすんだ!」とか横ヤリが入って来て最も大切な「泥臭い努力や精神的苦悩をどう克服したのか?」の本当に大切な情報がかなり抜けていくからだ。
みんなここが一番聞きたいよね?
そこが一番重要だし、聞きたい点なのに「サラ~」としたなんか爽やかな記事になって行くことは否定できないよね。わかるよね?わざわざかっこ悪いとこ書かないよね?
「毎日、私は一時間神とキリストと仏に祈ってました!」でも書けないですよ。
「試験、直前は毎日滝に打たれてました!」なんて隠して当然ですよね。
(そんな人いないと思うが...)
むしろ、
「僕は気が弱くて恐くて恐くて週刊誌の広告にあった幸運のペンダントを買ってしまいました。自分が焦るとペンダントをしっかり握りしめました。」の方が引き込まれますし、人間味あっていいですよね?
こんなの書きますか?書いても多分、後で「消してくれ!とか訂正してくれ!」って言うでしょ?かなり、勇気要りますよ。全国の人に読まれますから
初めて書かれる未熟な受験生が「全国的恥さらし」します?
カッコ良く書かれたいですよ、あるいは可もなく不可もない内容で手を打ちますよね?原稿の時数制限もあるし....
もう一つこれが最も大切な点だ。ミーハーな受験生が「まぐれで受かった方法論をえらそうに書いてしまい、それを真似する受験生が出て来る」ことだ。
バイブルのように大事に持っていたりする。
書いているまぐれ合格の受験生は決してそんな影響まで考えない。そこまで人間が出来ていない。(みんなそうだよね?いい思い出位か記念位にしか思わないよね。)
TVカメラ急に向けられるとみんな自然と「ピース!」ってやるよね?
「ノリ」でやるよね?
「知ってるか?、こんな勉強法あるんだぜ??」と目立ち根性を出したりする。
つまりまぐれ合格の不確かな再現できるかどうかわからない合格方法を鵜呑みにしてしまう危険性があるということにある。言ってみれば「宝くじ」に当たったようなものだと思う。
言ってみれば「宝クジ当選者が語る宝クジ必勝法!」みたいなもんですよね?
当然、まぐれは繰り返されない。ですよね?
これが読んだ1万人のうち100人いて3年変えなかったら300人の「まぐれ願望受験生」の誕生ですよね。これって恐いことですよね?
だって本人信じ切っていて、親はわからないから放置状態だから
今、もし書いた人が読んでいたら「しまった、申し訳ないことをした!」と思っているかも知れない。恥ずかしいことでもさらけ出した情報の方が役に立つんですよ。
そして「この人の楽な勉教方法が自分に合っている、そこまでやる必要ないんや!」と影響を受ける人がいることを忘れてはいけない。
特に基礎の生徒が楽なトリッキーな勉強に吸い寄せられる。
楽な勉強に吸い寄せられる。長期化の卵の誕生となることもある。
ここに気がついてましたか?
「人生幸せ、ヒーロー気分で恥ずかしいようなことを書くな!と言われて最も大切な部分が抜けて圧力により訂正された体験記があることを忘れないで欲しいと思う。
「まぐれ合格は繰り返されない」そういう点で冷静な視点で見た方がいいですね。
「でも、そんなの見抜けないですよ?」と言うと思う。
確かに情報の精度を見抜くのは難しいと思う。
「楽そうな勉強方法は真似しない」位しか言えないかも知れないよね?
あるいは軌道修正してもらう、受け入れるかどうかはわからないが
でもこういうことに気づくことは大切ですよね。
「え、全然知らなかった!」とかすぐに洗脳される方は注意した方がいいですよね。
できるだけこれからも「気づきの記事」をたくさん書いてみたい。
テーマは「気づくことの大切さ」で行こう。
そして今後、最も必要であると思われる「マインド(心)を強くする教育や指導」の必要性についても書きたい。
これを早く導入しないと危機的な状況になると予測する。
高校で授業をしていた経験と予備校で授業していた経験の2つを比較すると、教える側からすれば、私立進学校が最もやり易いだろう。ただ、高校で長く教えているとその高校の生徒が「全国の高校生の基準」になってしまう誤解を感じることが怖い。予備校になると「こんなできる生徒もいるのか?こんなできない生徒もいるのか?」と指導する側のバリエーションが拡がるのが良い点である。
要するに1つの学校で教え続けると自然に視野が狭くなるのである。校長先生から「うちの高校では-」とか聞くとだんだんそのようになっていくかもしれない。現在、塾や予備校の先生が学校の中で教える機会が増えて来ているが、もともと「別の種類の人間」が同じ建物の中にいるのだか様々なトラブルが起こる。
まず入試にだけ照準を合わせている人間と中間、期末等のシステムの中で「全て足並みを揃えて歩く」という人間の「やり方の違い」がまず異なる。こういう所をうまくすり合わせないとジョイントそのものがうまく行かない。わかり易く言えば、個人プレーを得意とする技術者と集団プレーと管理第1のスタイルがかみ合わないのだ。
お互いの良い所を尊重し合ってコミュニケーションの機会を持つべきだと思う。ただ、高校の先生も「生活指導や学校行事や会議」やらで多くの時間が取られてしまうので大変だと
思う。
もっと「ノウハウの交流」だとか「指導技術の交流会」等があって当たり前の時代に入っていると思うのだが、教育の世界はまだまだ閉鎖的である。まさに「自分以外は全て敵、商売敵のような世界」である。
また、たいしたノウハウでもないのに「ノウハウが流出する」と変に教える者同士が構える世界でもある。まず、「自分達が全員大した人間ではない」という謙虚さを持つべきだ。
民間のサービス業と比較するとはるかに閉鎖的である。これだけ生徒の質やお客の要求も多様化しているのに指導している側は、今だに鎖国状態のような業界も珍しいと思う。
極めつけは、大学の先生が「オレンジ色に変色した何十年も前のプリントを見て授業をする」というケースではないだろうか?
保護者の方に伝えておくが、例えば総合大学の生徒が全員きっちり毎日通学したらもともと建物そのものに収容できないのである。日大や同志社や近大の1年生の全学部入学者総数に4を掛けて建物の大きさと教室の数を考えたら答えが出ると思う。
まず、食堂が大パニックになる。大体電車だって昼の時間「空」で動かすよりは学割を設定して学生という人間を入れて運んだ方がいいという発想から来ているものだ。
「ある程度通学率はこれ位の確率で来なくなる」という数字があるから収容できるのだ。
最も保護者が痛いと思うのは、私立の文系で年間の学費から1年間の大学の年間の休みの日を引き算して授業数で割り算すれば、1コマにして大体8000円位が消えていく計算だ。
つまり、大学の授業を「さぼろうが、よだれをたらして寝ていようが8000円ずつ消えていく計算になる」学歴を買うだけと割り切れば問題はないだろうが、費用対効果の部分を追求すれば大学は最も「生産性の低い組織」となる。教授も院生は本気で扱うが、学部生は流すだけが多い。大体、「俺の研究がそう簡単にわかるわけがない」と思っているのが本音だと思う。
大体、文系の大学の一般教養でよく見られる「老人が指導して携帯世代の若者が授業を受ける」という「これ以上ない位のお互いを理解できない組み合わせ」も相当の無理があるのではないだろうか?指導は若手に任せ、老人の先生は研究発表に全力を尽くすという形が理想ではないだろうか?
年々生徒との「共有感」は離れていくのだから。当たり前のことに対して柔軟に動けない代表選手が教育の世界だろう。 また、改革のスピードが遅い業界でもある。
今までの常識や価値観等全て一反リセットすべき時代に入っていると強く感じる。
私: 「お前、こんな基礎学校で習ったやろ?」
生徒:「たぶん.....」
私:「わかった、(もっと基礎の基礎の基礎に戻って)ここまでならわかるか?」
生徒:「.........」
私:「習ってるはずやろ?」
生徒:「先生、おれら「ゆとりーず」(ゆとり世代)やで、わかるわけないで.....」
この会話だけで十分だろうと思う。今日は中学受験の父兄に向けて推薦の本を紹介しよう。
それがこちら。
「中学受験 サクラサクまでの1000日戦争」(右下)
以下のタイトルをクリックして注文できます。
中学受験サクラサクまでの1000日戦争―泣いた!笑った!合格力は家族力
<以下T先生の紹介文>
偏差値42だったお子さんが、首都圏での超有名進学校、本郷中に合格した、家族の体験記を語った物語。家族の結束力で勝ち取った成功ストーリーは、涙なしには読めません。
の問題は本当に信じがたいほど深刻ですので、小学生くらいのお子さんがいる方は、必見だと思います。
会社設立したばかりで忙しかった私は、作者があまりにも優秀なので、「高給優遇するので、ぜひフルタイムの社員として来て欲しい」と何度もオファーをしました。
しかし、作者は在宅勤務の形での勤務を選択し続けました。
理由はひとつで、まだ小学生と幼稚園の二人のお子さんがいたためです。
作者はあくまでも、仕事とお子さんを家庭でしっかりと育てることとの両立を、選んだわけです。
作者の、お子さんへの愛情の信念は、いつも変わることなく揺るぎないものでした。
作者は、進学校や偏差値が高い学校に行くことだけにこだわっている、いわゆる「お受験ママ」ではありません。
「まさか自分の子どもを中学受験させるようになるなんて、思ってもいなかった」と本人もいつも言っています。
では、なぜ中学受験を選んだのか。
ひとつは、「ゆとり教育」の恐ろしい弊害、です。
現在、強烈に批判されていますが、一昔前の「ゆとり教育」施策によって、「かけ算の暗算すらできない」小学生の子どもがたくさんいることを、みなさんご存知でしょうか。
私は、偏差値教育自体には、ものすごいネガティブですが、しかし、「詰め込み教育の重要さ」には100%同意します。
私たちビジネスパーソンが、現在、稼ぐことができるのは、実は、私たちが子どもの頃に、小中学校で、「読み書き」「計算」を、徹底的に詰め込んでもらえたからです。
まともに計算もできない、字を書くこともできない、そんな幼少期を過ごしたら、大人になったらまともな仕事などできないことは、容易に予測できると思います。
創造性というのは、「詰め込み」があってから花開くものであって、何もないところからは、何の創造も生まれないのです。
また、現在の公立の中学は、徹底的に体罰教師が撲滅されたので、校内に警察機能がなくなってしまい、完全に学級崩壊になっているところが本当に多いそうです。
(私立は”退学”というリスクがあるので、秩序が保たれる)
国の施策に頼っていたら、とんでもない大人になってしまう。
こんな危機感を持っている親が、最近は多いようですね。
今回の作者の本は、そんな問題を解決します。
「やる気のない子どもをやる気にさせる方法」
「インターネットで情報網を築く方法」
「偏差値42でも進学校に入学できる方法」
などが満載です。
お子さんがいる方は、ぜひ入手しておいてくださいね。
「中学受験 サクラサクまでの1000日戦争」(右下に紹介)
以下のタイトルをクリック
中学受験サクラサクまでの1000日戦争―泣いた!笑った!合格力は家族力
<ここまで>
私自身は中学入試については詳しくない。また、お受験に成功してもその後
の失敗例を多数見ているため、立場的には最後の大学入試だけキメれば
いいという立場でもある。
しかし、その時に自分の持っている全てのエネルギーとパワーを絞り出して
「ツケ」を取り戻せ!という主義でもあると思う。
ただ、ひとつだけ中高一貫生と全く大学入試から勉強をし始めた生徒の大きな「差」があると思う。
それは
「最初から長く椅子に長時間座れること」
急に勉強を真剣に始めた生徒はどうしても最初、長く椅子に座れない。
きついのはわかる。慣れるまで時間がかかる場合もある。
集中力が続かない。朝から晩まで座れるようになり、集中して効果的な勉強が出来るようになるまで時間がかかる。
この「最初の差」は大きいと思う。
最初からダッシュできる生徒と安定して座れるまでに3ケ月もかかる生徒の差は明らかに大きいと言える。
「長時間座れる生徒」は当たり前のように10時間位最初から座れる。
ある中高一貫高校の生徒が私に言った。
「なんで、ぼくみたいに長時間座れないんですかね?」
自然に姿勢が形造られている所は評価すべきだと思う。
「教育は高くつく、でも無知はもっと高くつく」と言える。
2002年のゆとり教育の影響が現在の大学受験にも大きく影響し始めている。最も影響が出ているのは小学5年位から入って来る算数の「比・割合・体積・メートル法」が全く抜け落ちている受験生が登場して来た。
いくら予備校の授業やフォローを受けても土台がないため伸び悩むことになる。そして物理や化学にも影響して更に点数も上がらない。
多分、受験指導機関の方でここを読んでいる指導者の先生方々も、おそらく気がついているだろう。小学校の教材を探している方もいるだろう。
「そうそう、その通りです。今までこんなことはなかった。どこまでさかのぼればいいのか?」と混乱しているだろうと思う。そう、大学受験指導の現場で「小学5年までさかのぼらなければいけない」のである。
これがいわゆる「恐ろしい弊害」と言える。 大体入試まで9ケ月しかないのに小学時代までさかのぼる必要があるのが現状である。しかし、そんな所まで面倒見るところがあるだろうか?
当然のごとく放置されてしまうのが現状かも知れない。 気がついている指導者はかなりいるだろうと思う。
指導記録のはずが、完全にそれて昨日は教育評論家のエッセイのようになってしまった。まあ、いいだろう。
現場の人間にしかわからないことが読んでいる人に「新鮮な興味や驚き」として読んでいる人に伝わればそれでいいと思う。あまりテーマを制限すると書きにくいという点もある。昨日のテーマに続くことになるが、兵庫県の西宮北口というのは中学入試の日本一の激戦区である。
当然、灘高校を目指す、灘に何人入れたかの激戦である。よく灘高校や強い進学校は、「特別なテキストやプリント教材等を使用しているのではないか?」と熱心な父兄から聞かれることがあるが、答えは驚くほどシンプルな物を使用している。プリント教材もしごく普通である。拍子抜けするほどだ。これを読んでいる地方の方も驚かれたのではないか?
ただし、スピードは早く量が多い。
それに対して中途半端な進学校ほど様々なことをやっているものだ。そうです。もともと処理能力の高い生徒達に「何を教材としてやろうとできる子はある程度問題ない」という答えが正解であると思う。「知識のヒントの点を与えれば、彼らは勝手に線としてつなぐことができるんですよ」と聞いたことがある。
ここで、以前「カウンセリング10の記事」で書いたことと「昨日の記事」とがきれいにつながり、進学高校についていけない生徒が発生することになる。1つは、自信をなくすケース、もう1つははるか遠くに置いていかれ「差」がついているにもかかわらず、プライドだけは高く、基本に戻らない、戻れないケースの2種類ではないだろうか?
(後者のタイプの方が、教える側からすれば、はるかに扱いにくい。遅れている自分を絶対に認めない。基礎に戻らないからである。言うことを聞かない。聞かないから、更に遅れていく。「何で俺が他の連中と違うことせんといかんのや、馬鹿にするな!」というタイプである。大体、親もほとほと手を焼いているケースが多い。第1親の言うことを全く聞かない。だんだんほったらかしにされて行く。最後はかわいそうだが、誰からも相手にされなくなる。とにかく扱いにくい。「それでも教育者か!」と言われる方がいるかも知れないが、1度やってみたらわかる。)
前者のケースでは、先生は、長年「これ位の説明とケア」でできるものと信じこんでいる。
「ここに来る生徒はこんなもんだよ」と信じこんでいるから余計なことはしない。
「やっと入った子はもう少しケアが厚ければついていけたのに遅れが始まり、だんだん蓄積されていく。そしてはるか遠くに残されたような気がして無気力になる。」
予備校の先生も色々な所に顔を出している先生の方が指導バリエーションを多数持っていていい指導をする場合がある。
いくつかの予備校のノウハウの常に吸収し、様々な種類の生徒から「変化と刺激」を受けているからだと思う。世間で「先生」と呼ばれる人達が高齢化して何十年も同じ学校から移動しないということは大きな問題である。
また、世間で言う「お受験」の成功が決して成功とは言えない場合もある。
単にブランドバックを1つ手に入れただけのことに終わるだけかも知れない。
最後の大学入試だけを成功すれば、それまでの過程は別にどうでもいいという考え方の方が正しいのかもしれない。その答えはわからない。 なぜなら、スポーツと同じく有名なチームに入ったら常識の基準が高くなり、自然に「名門の顔」になって伸びるケースも多いからである。つまり、「当たり前のレベル」が高くなり、レベルを引っ張り上げられるということですね。
受験勉強がうまく廻り始めると各科目の過去問題をやってもそこそこ点数が取れてくる。
しかし、そこから「最後の難題」が待ち構えている。
それは何か?
「全教科を高い点数で揃えること」
得意教科で超えることはかなり早くできるだろう。そして4教科中3教科うまくいったが最後の1教科で撃沈したとか、1教科だけ究極の高得点だが、あとの残りが全てダメとかそのようなステージに入って来る。
揃えるにはスタミナも必要だし、集中力も必要だ。
これは大変だ。本当に大変だと思う。
この最後の「揃える」という段階が大きな壁となり立ちふさがる。
本気で1日中試験毎にエネルギーを使うのだから大変だと思う。
「揃える」、これは文字数ではわずか4文字で済んでしまうが、ものすごく大変な世界だ。
以前にどこかで「中学受験の成功=ブランドバック1個手に入れただけ」と失礼なことを書いたことがあったと思うが、これは失敗した例の深刻さを知っているだけに書いたものであることを理解して欲しい。
以下のどれかに当てはまっている方が多分おられると思う。
例えば高校3年間で京大と東京大の問題を30年分やらせる高校があったとしましょう。学年300人中の50人位が大活躍して栄光ロードをしいてくれればそれでいいんですよね。(その50人の数字が圧倒的に輝きますから、「うちのせがれも同じように行くのでは?」と親は思うんでしょうね。)
「ここに入れたら将来は安泰や...」と思うんですかね?
中学入試で「まぐれ」や1日だけ「突然変異」を起こして入ってしまった場合、祝福ではなく、悲劇の始まりである場合は多いですよね。でもプライドだけはしっかり持ってる場合は多いですよね。でも「心」入れ替える必要ありますよね。
<悲劇の始まり>
どうして中学入試が過熱するのかわからない時がある。逆に教えて欲しい。
「うちの子がそうなるとは限らない」という視点を忘れない方がいいと思う。
逆に2番手、3番手からがんばって偏差値秋の時点で65~70到達している場合だってある。
下手すれば1年浪人しても中堅進学高校の高校3年時点に戻すのが精いっぱいかも知れないと判断される位ひどい時もある。
本人が一番、「こんなはずではなかった」と思っているのだが...
ただ、全てが悪いというわけではないが後の祭りにならないで欲しいと思う。
一部の光に自分を重ね合わせるのは勝手だが、気がつくと大幅に追い抜かれている時がある。
進学高校の中にはただひたすらイジメのように「意味のないスパルタ指導」を行う所もある。1日8時間授業の後補習があって家に帰るのは夜8時くらいになってテスト、テストで復習や定着の暇すらなく、「カラ廻り」するケースである。
とにかく生徒が疲れ切っていて、やる気さえなくなっている。でも高校側は方針を変えようとしないし、数字にも変化は現れないという「意味のない苦しいだけの循環サイクル」を繰り返している。
数字になって現れていないのなら、すぐに「やり方を柔軟に見直す」ことが必要だと思うし、原因究明してリセットした方が良い。ただ、保護者の中には「苦しんでいる姿=がんばっている姿」と勘違いする場合があるため、気がつきにくい。
ただし、これはまずいと気づいた保護者はどうするか?「特進クラス」に入っていたら夜の8時位が帰宅時間になる。したがって塾や予備校に行けない。
そこであえて普通クラスや就職クラスに意図的に変更して塾や予備校主体の指導に全て切り替えて時間を創るのである。 時間を創りだすため、早く帰宅させるためという意味が大きい。
つまり、全く学校を無視した臨戦体制を早くから取るケースもある。また、推薦やAO等を考慮せず、最初から上位校狙いの場合にやるケースもある。
極端な話、「就職希望」に変えてしまえば一切のスパルタ強制補習から逃げ出すことができる。 したたかな戦略と言えばそうなるかも知れないし、賢い戦略とも言えると思う。
ある意味では有効な賢いやり方だと思う。推薦条件等を無視したり、考えてない場合は1つのやり方だと思うし、医学部等を考えている場合、高校を転向までさせるケースもあるし、私立高校の無意味な異常なしめつけが肌に合わず、公立高校に転向したりする場合もある。
ある意味、正解の1つだと言えるだろう。それで1年浪人期間が短縮されるのなら大正解と言える。あくまでも医学部等の場合だと思うが.....
推薦を無視して評定平均をぎりぎりにキープしておけば有効な作戦になりうるとは思う。
また、受験生の中には「地域枠」やその地域出身が優先であるという事実を掴んでいるという場合、その地域に住民票をあらかじめ移してしまうという受験生だって存在する。「そこまでやるのかよ、嘘だろ????」と思う人がいるかも知れないが、人生の数十年間がかかった試験であればこそ、そこまでやれると言えるのかもしれない。
「入ってしまえばあとは国家試験だけだろ?」と「それで人生の数十年が確保できればどうってことないだろ?」というクールな戦略だって存在するのは理解できると思う。
親戚や祖父母の家に住民票を移してしまう。今、1つの戦略として現実に存在する1つの戦い方なんですよね。
<~コーヒーブレイクコーナー~>
受験料が一大学につき6万と聞いて不思議と受験に対する意識の差が出るものだ。
意識の低い生徒の反応(不思議とゲームや遊びと価値観の比較する。)
「えー???たっかいなー、どんだけ遊べるん?、どんだけゲームできるん?」
「6万あったらどんだけ遊べるんや??」
意識の高い生徒の反応(「さすが!」の反応をする。)
「これで人生の数十年を買う権利みたいなもんやな、まーこんなもんやろ...」
特に意識が低いすぐ3浪まで行く生徒の意見にゲームとの価格比較が出る。
もし、気がついたら長く浪人するものと覚悟する方がいいと思う。
関西医大の推薦入試の「適正検査の質問」が多いので多少は書こうと思う。
ただ、医大の入試傾向は、急に変わるので完全に依存することは危険であることをつけ加えておきたいと思う。まず、150分(大問16題、80問)日本語と英語の長文が混在するケースもあり、5個の設問、後半に数学、物理、化学、生物の問題が混在する可能性がある。
3択問題も混在する可能性もあり、資料に合っている、合っていない、どちらでもないと選択させるケースもある。解答の選択肢としてA.問いから読み取れる、B、問いに矛盾している、C、判断できないの中から選択する形式も可能性がある。
面接20分(3対3のディベート形式、面接官3名)、個人面接も面接官3名、(圧迫らしき質問
も可能性あり)小論文50分500字(テープを聞かせて論述させる場合あり)と大体を記述しておきます。問題が急変したらすみません。とにかく徹底的にスピードに注意してください。
受験する人は高校の進路指導部にデータ保存されているはずです。
必ず高校の進路指導部に事前確認しておいてください。
さて、推薦入試というのは意義としてどういうものか?考えて見る。
例えば、皆さんが1台のTVを購入するとしましょう。1台がSONY製品、もう1台がMADE IN CHINAと記載されていて格安だが「保証書なし」と記載されています。
どちらを購入するでしょうか?
そうすると「もし故障したら?」と考えるでしょう。
「保証書なしはまずいな。なんぼ安くてもまずいな」と考えるでしょう。
後輩の電気屋の管理職も言っていました。
「今、お客さん、ほとんど5年保証はいりはりますね。
安心ですからね!」と
よく、長く受験生活をしている受験生が、「推薦と一般はハンデあり過ぎる」と文句を言ったりし
ますが、日本では仕方のないことだと思います。
推薦入試を受験できる生徒は、「学校からの代表であり、校長の保証書」がついているから
なんですよね。推薦入試を受けることができる生徒は、「その学校生活の中でのイヤなこと、
嫌いなことでもイヤな顔をせず、3年間進んで参加して成果を上げて来たという学校からの
保証書を持っているのです」それが評定平均という数字で表されます。
一般社会で言うところの「勤務評定と仕事の査定が高い」のです。
つまり学校という組織の中での勤務評定が高いのです。要するに「人間として安心できる」んですよ。学校の代表ですからね。企業採用のコネだって同じですよね。
要するに相手は「堅いやつ」欲しいんですよ。信用って目に見えないですからね。
だから最初に「電気製品の保証書」の例を出したんですよね。
だから、推薦入試の合格者は「蹴ること」ができないんですね。もし、蹴ったら永遠に
学校の後輩の合格がなくなりますからね。責任重大ですよね。学校への愛好心がなくてもこれだけは絶対にやってはいけないんですよ。なんの罪もない後輩の人生を永遠に閉ざしてしまいますからね。
本当に理解して受けるべき試験なんですね。
社会人や大学生の再受験生がもう1度チャンスを求めるために東海大学医学部の編入試験を考える場合がある。合格者数も40名と大きい。「夢よもう1度」と狙いたくなる気持ちも当然だろう。
大学で公務員試険対策経験のある先生に見てもらい、感想を聞いてみた。意見に偏りはあるかも知れないが次のようなものだった。
「いや~難しいですね。公務員試験の知能系に近いものが4割、医療系が3割、誰も解けないような大地震、緊急医療、人工生物の問題なんかも3割位入ってますよね。
国家試験上級クラスの問題もあるし、「正答がない」という問題もあるような気もしますよね。専門の先生3人位合体しないと無理ですかね、最初の4割なら私でも対策できますかね。」というような意見だった。
「英語や小論、面接も入れると合計5人も必要か?」できないことはないが、コストかかるな~、でもそれで人生変わるなら安いもんかな~」商品開発に悩むと言うか、今ひとつ決断できない所があるのも事実だ。
どこもやらない理由は、「効率が悪いのと面倒くさい」という理由からだろう。お客さんのニーズが多ければやってもいいが、最初のテキストやプリントを創る所に多大な苦労が見えるな~。 揺れる心境だ。
こういう理由から「手つかずの部分」が入試にはあることを理解して欲しい。
国立の後期の総合問題も同じである。
「いちかばちか、神に祈る」状態で受験している生徒は多いだろう。
逆に言えば、やれば飛び出る可能性もなくはない。
わかり易く例えて見ると以下のようなものであるだろう。
配点50点は大きいな、でもこれさえ超えれば英語の問題はやり易い、長文も1題しかない。理科も1科目で行ける。選択肢として魅力的だ。うまく行けば最初から50点の差がつけられる。
やるしかないだろうな。未対応のドアを開けない限り何も変わらないだろう。
【2011年に完成した医学部適性検査対策】
前日は、推薦入試の意義について述べたが、大学入試全般の推薦入試の悪影響について述べて見たい。(一体、本来の記事の指導記録はどこへ行ってしまったのだろう?)
まず、1番目は学校の中に早く決まる生徒が増えて来ると教室の雰囲気が悪くなることだ。受験は当然のごとく後になればなるほど苦しくなる。3月入試など悲壮感漂うものがある。
考えて見て欲しい。「人生を賭けた闘いを控えた戦士」と「自動車教習所と卒業旅行とバイトを考えている人間」が同じ教室に混在しているのだ。気合を入れるのも難しくなるし、例え異なる学部であっても多少は気になるしうらやましくなる。心が折れかける場合も出て来る。
難しい試験であればあるほどテンションを上げなければならないという「心の強さ」も必要とされる。当然、孤独感もあるだろう。完全にリラックスしている生徒と無理やりにでも緊張している人間の話が合うはずもない。本当に苦しいと思う。
もう1つは、早く楽になりたいという気持ちから安易に自分の進路を選択して大学に入り、「これはちょっとおかしいぞ?」と入学後に初めて自分が進路ミスをしたことに気がつき、もう1度浪人したり、大学を中退したりするケースが出て来ることだ。
また、大学に籍を置きながら「仮面浪人」をしたり、資格の専門学校に進路変更をしたりする。
医学部から歯学部に変更してわずか1年で戻って来たりする。難関の医学部に入っても「血を見るのがイヤだった」とか言って辞める場合だってある。
10代や20代の若者が迷走を始めるのだ。
非常に稀なケースであったが、医学部に合格して行かなかったケースだってある。
「先生、ぼくの目標は医者になることではなかったんです。医学部入試に勝つことだけだった
んです。」と負けることを許さない自分のプライドだけでやる場合だってある。この告白を聞いた時にはさすがに驚いたが、いい勉強をさせてもらった。
また、国立医学部志望の受験生がセンターで失敗して私立の中で一流の所に入学してもどうしても国立を諦めきれないケースもある。親や兄弟が国立だったらなおさらだ。
現役生から見れば、苦労して私立に入った受験生(多浪生)の姿に「自分とのズレ」を感じるらしい。
私からすれば、「苦労して入りやっと苦しい受験勉強から開放された気持ち」もよくわかるし、彼らの「苦労したんやからちょっと位遊ばせろや!」という気持ちもよくわかる。
しかし、真面目な現役生は、自分のプライドに結びつけて国立再受験したりするから恐い。
なぜならリスクが大きいからだ。もう一度同じレベルの私立に入れる保証はない。
たしかにうまくいけば学費の面では親は助かるかも知れない。
しかし、いかんせんリスクが大きい。
(意外に本人が「親や兄弟に負けたくない!」というのがあるが、そんなに重要なものだろうか? 本人からすれば耐えられないのだろうと思うが。)
再び親の白髪が増える。「やっと片づいたか」と思ったらまた心配最高潮だ。
親の寿命がかなり縮まると言っても過言ではない。
ストップをかけるが若いエネルギーの暴走は止められない場合もある。
大学に行きながら子供が模擬試験をまた受けはじめていたら危険信号だ。
言うことを聞かない場合は、「休学できるかどうか?」が問題だろう。通学しながらは難しい。第一大学の後期試験が受験の直前だろう。一番ダッシュをかけなければならない時期が大学の後期試験で遮断される。「最後の追い込みと調整」は最も重要だし、急激に生徒が伸びる時期でもある。
医学部や歯学部に限ったことではない。
特に気をつけなければならないことは、大学受験に失敗して「その心の傷を癒す」ために難しい国家試験に挑戦し始める生徒が出て来ることもある。成功例もあるが、失敗例もあるだろう。
新卒の「就職の最大のチャンス」をなくして資格試験も途中で辞めるようになるという最悪の結末になる場合だってある。また、合格してバッチをつけたからと言って全員が喰えるわけでもない。「資格=自動的な人生の成功」ではない。
よく父兄が「本人の好きなようにさせる」と言われるが、判断材料を持たない若者が迷走するのは危険きわまりない所がある。
「頭打って気がついたのは30代後半だった」というのは資格試験にトライした経験のある方
なら今、パソコン画面の向こうで頷いているのではないだろうか?
大学受験制度の推薦入試がどんどん早くなっている。何も考えずに合格して迷走する若者が増加することは容易に予想できる。 入ってみないとわからないのだから。
オープンキャンパスだけでは絶対にわからない。
今、入学してからの大学生の進路変更は非常に多いと思う。
簡単に大学に入ると生徒が「俺は進路間違えたかも?」とか考え始めるのだ。
「入ったのはいいんだけど、実は.....」とか告白されるようになる。
それに振り廻されるのは保護者なのだが、今非常に多いので悩み過ぎないようにして欲しい。
<問いかけ>
自分の心の中で不完全燃焼の「燃えカス」が残っていて仕方なしに通学している大学生はまだ自分の中で「俺はこんなもんじゃない、まだできるはず...」のような自信かチャレンジ精神が心の中にあるんですよね。でないと再受験なんて考えないでしょ?、ですよね?
<苦悩状態から脱出するためのヒント>
「人は決断しないとどこにも行けない...」ですよね?
大体、学校の先生が世の中のことを詳しく知っている人種ではない。
また、生徒も進路について「これでもか!」としっかり考え抜いた経験もなく受験勉強に入り、そして入学後、我に返るのがほとんどだ。
「俺はこれでいいんかな?」とか考え始める。
当然、起こるべくして起こる現象と言えるのではないだろうか?
「本当の自分探しの旅」が始まるという表現が適当かも知れない。
今、上記のケースは本当に多いと思う。
PS:今年推薦受験予定の方への伝言
推薦入試受験生の中で推薦以降どうしたらいいかわからなくなる現役生徒もいます。
つまり今まで見たこともない問題を何もわからす受験し、何もわからず落ちてしまう場合に、「これから何をどうしたらいいのか?」困惑して空回りし始めます。
この時にどれだけ素早く次の目標を決めて動けるかですよ。
どれだけナビゲートされているかですよね。
その時にどれだけ「自分の進む道(計画、問題集や参考書の選定や量、過去問題の分析等)自分自身の「勉強の道をつくる」ということに自分なりの答えを出しておくことが重要ですよ。でないと「あっ!」という間に一般入試が来て流されてしまいますよ。
自分が経験しないとわからないんですが気をつけてくださいね。
「あっ!、何もせずに一般入試来ちゃた!」になりますからね。
ここで言った通りになりますよ。
同じ道をきれいに同じように通過して同じように浪人する人が多いんですよ。
「原因はどこにあるのか?」それを考えて見るだけでも穴に落ちずに済みますからね。「浪人製造のベルトコンベアー」に乗らないためにどうすべきか必死で考えて見ることを心から薦めます。
推薦入試だけでなくそうやって考えて見ることを推薦します。
医学部受験生の数が少ない高校にいる生徒はまず同じ道を同じように通過して同じようになりますから........
浪人自動製造のベルトコンベア」からぜひ降りてくださいね!
「なんとかなるよ!」じゃないですよ。
普通に他の受験生と同じく平和に生活していると「なんともなりませんよ」
<現役生の浪人自動製造のベルトコンベア>
<注意>
3については早くから情報を仕入れて動いている父兄と全く知らない自動浪人製造のベルトコンベアに乗っている生徒の父兄との「差」が大きい。第1親は忙しくてそんな暇もない。家がドクターで親戚からまた聞きする位だが、今だに30年前の「浦島太郎状態」のドクターも存在する。また、「学校が全てやってくれているだろう?」という相変わらずおめでたい家庭も存在するから「差」が大きいと言える。
<まとめ>
前倒しで動くべきなのに意識が夏位に高くなり、学校のガチガチに詰め込まれた補習でなにかやっている気になっている。そして訳がわからないまま推薦入試に突入し失敗して本気であがき始めるが、大きな波に流されて一般入試にとりあえず参加しているというケースが最も多いだろう。
「早く気がつく」という能力が最も重要でそれから「早く行動する」という部分が欠けているために同じように浪人製造コンベアに乗っているように見えて見えて仕方がない。誰も原因はどこにあるのか教えないのだろうか?
長期化して「出口の見えない生徒」の苦しみを知っているからこそ伝えているのに全くと言っていいほど、「ほらね、そうなったでしょ!」が多いのである。
いい加減、「誰か早めに言ってやれよ!」と常に思う。
<よくある光景>
中間テストや期末テストの勉強しかしたことがない偏差値50もいかない生徒に東大や京大の記述の問題を渡して、「お前ら、勝手にやっとけ、できないと卒業させない」とか言うのも報告されている。
難しい問題をやらせておけば学校の進学補習が成立しているように見えるという所にこのような状況が創られてしまう。
焦って急激に進学高校に変わろうとしている所によくその傾向が見られる夏休みもほとんどなく朝から夜8:00までびっしり詰まっている。驚くべき予定である。科目と時間だけ見れば、保護者は「すごい!」と思うのだと思う。しかし、実際は「痛めつけて無意味な長時間」が多い。
最も多いのは、プロセスがなく単に難しい問題にぶつけているだけが多いと思う。「苦しい」だけなのだが、他に選択肢がないから疲れた体にむち打って参加しているケースがよく見られる。
「インプットと問題集を解いたり、アウトプットしたりする自学の時間」もほとんどない。そこがうまくミックスされた時に「成績急上昇のうねり」が現れると思う。そこから「自学の管理」ができて安定ロードに入ると思う。「夏の無意味な強制収容所」は多いと思う。
しかし、私自身も過去にそのような経験があるので認めざるをえない所もある。反省しておきたい。
少子化なのに大学の新設は続き、環太平洋大学のように伏見工業を日本一にした「スクール
ウォーズ」のモデルとなった山口良治監督やバルセロナオリンピック金メダリストの古賀選手を呼んで指導者とする大学まで出て来た。
少子化なのに昨年は「いじめによる自殺」が非常に多く、少子化なのに夜間の小児科は超満員である。中学生の4%は「うつ状態」という報道がされ、現代は、複雑多様化している。
面接や小論文のテーマで「少子高齢化」の問題が問われるのも問題意識を持って新聞等をよく見ているか?という姿勢が問われている。(実際は、受験生は、新聞等やニュースを見ている暇はあまりないのだが、入試で問われるので慌てて直前に準備しているのが普通だと思う。)
個人的意見で申し訳ないが、現代のようなストレスがたまり易い世界において欠けているものの1つに「読書の習慣」が欠けているような気がするのだがどうだろう?
(漫画ではなく、絵がない活字だけそしてここで言うのは多読のことである)
本を読んで「作者と共有感を持つ」という習慣がなくなっているような気がする。全てデジタル画面に慣れてしまって昔の世代の先輩方のように「本を読んで楽しむ」という習慣が全国的に欠けているのではないだろうか?
「本から学ぶ」という点が欠けていくような気がする。そして本を読まないから論文が書けないのでは?と答えが出た。大学の教授があれだけ長い論文を連発できるのは読書量が半端ではないからだと思う。どの教授の研究室も本であふれかえっている。
ストレスがたまり易い受験生のために「気軽にストレスが解消できるものは何なのか?」と真剣に考えたことがある。長時間遊ぶとかえって不安になる。それに受験生という身分だから心底楽しめない。かえってストレスになる。そういう意見を聞いていると「何かないものか?」と真剣に考えた。
そこで、「読書」という答えが最近出て来た。ジャンルは何でも良いのではないか?闘病記、自己啓発、人間関係、幕末本、漫画でも「ブラックジャックによろしく」は良いと思うが、賛否両論だ。 私の意見が古いのかも知れない。保護者は賛同してくれると思うが。
「ブラックジャックを読んで医療の世界に燃えたが、ブラックジャックによろしくを読んで医療の世界に幻滅した」という意見を聞いて考えさせられた。ただ、病院や歯医者の待合室に「ブラックジャックによろしく」が置いてあるケースがあるが、先生方はどう考えているのだろう?
初めて受験をされる場合に、よく見られるのが自分はもうそこに入ったかのように話を進めている家庭がよくある。どこかで書いたと思うが第一志望の2次が第一志望より簡単そうな、ねらい目である大学が日程としてあったとする。
一次合格しないと二次は発生しないにもかかわらずそこはしっかりと開けている場合などは良い例である。これが、2浪でもすると「そんなこと言ってられないとばかりになりふりかまわず全国をターゲットに入れて必死モードになる」
一人っ子の女子生徒なんてほとんど同じである。(1)まず、親の目の届くところ、(2)女子医大とか次に男子がいないセキュリティ面の安全なところのように決まっている。関西であれば「関西4医大プラス最大限譲歩して東京女子医大のようなセット」である。
たとえ女子医大に行っても牢屋に閉じ込めて24時間レーダーや探偵やボディガードをつけているのではないのだから同じだと思うのだがどうだろう?
もしかして極秘にSPでもつけるのだろうか?つきあう彼氏も大変だろうと思う。おかしなことをしようものなら拉致されて親元に連れていかれてすぐに結婚の約束をさせられるのではないだろうか? (笑)
いい加減なつきあいでもしようものならボディガードに半殺しにされるのではないか?と思えるようなお嬢様も存在することは否定できないから男子生徒は相手を見て気を抜かない方が良いだろう。
よく下宿をしている男子生徒にお母さんが「女の子には気をつけなさいよ!」と電話で念を押す場合があるが同感できる点もある。
地方の生徒には理解できない点もあると思われるから説明したい。都会にはいわゆる「おぼっちゃま、お嬢様学校」というのがある。これは生徒から聞いたのだが、ある男子生徒が「100%お嬢様」というのを知らずにもて遊んで捨てたらしい。
運の悪い世間知らずの坊主だと思う。その話がお父様の耳に入り、学校に15台の外車で運動場に一列で乗りつけ、学校側がびっくりして運動場で学校の職員と15台の黒い外車から降りて来た「屈強な保護者軍団」が正対したという事件がある。
職業は想像できると思う。
(ほとんど映画やドラマのような世界だと思うが現実にあるのである。)
当然、「何事か?」と思って全校生徒が窓から顔を出して運動場を見ている。こんなことが起こったりする。当然、もて遊んだ男子生徒はあまりの恐怖のせいで腰が抜けて教室で泣き出したそうである。(笑)
学校に弁護士を横につけて乗り込む事件など今となっては珍しくないかも知れない。
そのたびに校長と教頭はトラブルを起こした家庭と起こされた家庭の両方を走り廻らなければならない。TVの取材でも来て在校生にインタビューでもされたら大変なことになる。 一切TVの取材に答えるなと指示が出るが答えてしまう。
自分の子供が加害者側にでもなったら親は一瞬で白髪になるかも知れない。
いつ自分が加害者側の親として一生責任を取らされるのかわからない。
そんな時代であることは否定できない。 だから教育しておいた方がいい。
今は学校にこのような場合の対策小冊子も配布される時代だから......
言いたいことは全ての保護者が時が来れば順番にこの世からいなくなる。
安心してあの世に行けるように子供をたくましくしておくべきだと思う。
天国から助けようと思っても助けられないからね。
困難や障害にぶつかっても乗り越えていけるようにしておかないとね。
これだけ学校への不登校や精神的病なんかが増えて来ると「大丈夫かよ?」と心配になって来る。
メンタルケアがどんな場所でも必要とされる時代のような気がする。
よく「試験会場にどんな格好していったらいいですかね?」とか聞かれる。推薦入試の場合、
現役生はもちろん制服だろう。浪人生はスーツだろう。色は圧倒的に「紺」が多い。ネクタイ
も「紺」系統が多い。たまにグレーとか黒がいるが、やはり紺が無難ではないだろうか?
「なんか俺だけ浮いてるな?」とか感じる位ならやはり、紺で統一した方がいいだろう。髪型まで聞かれると答えに窮するが、みんな会場ではおとなしく見える髪形が多い。「この時のために」という感じだ。普段、髪を染めている生徒も完全な黒に持っていくために2回位染めるらしい。
浪人生の中にも高校時代の制服を着ていく生徒もいるようだ。面接試験というのはどういう所で判断して「差」をつけているのか完全にわかっている人はいないだろう。かつて医学部希望者でセンターのリサーチでA判定が出ていても面接で落ちる場合があるのでよくわからない所がある。いまだに落ちた理由がわからない生徒だっている。
個人的な意見として練習でうまくいったことが、本番でできない場合が最も「損」のような気がする。例えば、「視線の位置」だろう。無意識にやるから本人もわからない。
練習の時に「視線上げろ」と注意しても本番だけ「視線落として下を向いてしまう」とか、膝ががくがく動いている」とか、「こぶしを握る」とか「視線が泳ぐ」とかだ。当日、相当乱れたとしか考えられない場合だってある。簡単に言えば「人の好き嫌い」ではないの?かとか思う。
「相手から見た自分」を意識することってこういう時しかしないですからね。他人にチェックされても当日できなければ意味がないですからね。特にアメリカの高校じゃあるまいし、「ディベートなんていつやるんだよ?」って感じですね。「弁論部」のやつなんかと一緒のグループだったら最悪ですよね、圧倒されますよ。あと、英語クラブ等の公の場でスピーチ慣れしている子も強いですね。内気な生徒は損ですよね。
その次が生徒会役員ですよね。朝の朝礼とかでしゃべり慣れているから当然強い。頭で考えてもすぐ答え出ないですよ。金沢でしたっけ?「マグロの漁獲高」なんかについてしゃべらせたの。だから、小さい時から公の場で自己表現して来た経験というのはこういう時に生きて来るんですかね。
やはり、進んで「今まで責任を自分からしょいこんで来た生徒」が有利ですよね。 1時間以内で人間分かるわけないですよね。勝つための「自分の演出技術」っているんですよね。
朝から晩まで携帯依存している生徒はきついですよ。人と正対してしゃべれなくなりますよ。
その第一段階が「人と正対するのが恐い」ですよね。
面接が嫌いな受験生は、自分の今の苦しみの方向からだけ自分を見ていないから嫌だと思うんですよね。また、「みんな心にもないこと言うてるだけやろ?意味ない」とか言って真剣に向き合わないとかね...そういう時はね病院に行くのが嫌だった人は自分がその時に何を感じていたか思い出したらいいんですよ。
「不安でしたよね? 何をされるんだろうかと思いましたよね?」
「メスを持った氷のような冷たい目をした先生だったら嫌だなと行く前から悪い
想像をしたこともありますよね?」
そんな先生に出会ったら、更に病気が悪化しますよね?
また病院の理事からすれば真っ先にリストラしたい先生じゃないですか?
患者さん遠ざけて経営悪化させてる原因以外の何物でもないですからね。
地域の人達から嫌われたら嫌ですよね、本当に嫌ですよね?
今の患者さんや小児科の子供やお母さんに絶対言われますよ。
「あの先生、恐いから換えてくれって....」
絶対言われますよ。「プチ整形」でもしようかなって悩みますよ。(笑)
じゃ次、逆にあなたがそういう目で見られる対象になるんですよね。
その視点さえ忘れなければいいと思うんですよね。また、今あなたも勉強だけができる人格の崩れた冷血サイボーグに診てもらいたいと思わないじゃないですか? 誰もあなたの所へ来ないですよ。
そんな接触するだけで痛みや恐怖が増幅するような人の所に行きます?
印象って自分が決めるんじゃなくて不特定多数の第3者が決めるんですよね? 自分に投票権ないんですよ。
患者さん自分の印象のせいで逃げてしまったら病院潰れますよね。
今のような瞬時にネットで全国に評判が知れ渡る時代ですから、あなたもすぐに「指名手配犯人」のようになりますよ。
また、自分の印象の悪さを近所のスーパーや幼稚園や公園でささやかれたら嫌じゃないですか? そうでしょ? 近所歩くの嫌になりますよ。
「あの人が愛想の悪い●●先生?」とか背後から聞こえたら嫌でしょ?
だって人から見られる仕事につくんでしょ?
わかっていると思うんですけど、受験生の方は「特別な存在」として常に一般の人から見られている職業につくんですよね??
だから、外車持ってる先生でも近所では白衣来て「錆びたママチャリ自転車」にあえて乗るじゃないですか?それでいいんですよ。(笑)
素晴らしいパフォーマンスじゃないですか? 好印象満点ですよ!!
私なら「あっぱれ!」でその先生支持しますよ。自分で自分のブランド創ってママチャリ自転車で白衣来て自分の宣伝してるんですから.....見事ですよ。
自分から近所の患者さんにニコニコして話しかけて距離感なくしているんですよ。
ファミリーレストランにその先生が行くと患者さんが知らないうちにその先生の食事代金を先に払ってしまう位に近所で人気があるんですからすごいじゃないですか? すごい人気ですよね? その方がいいと思いませんか?
レストランの中の誰かが「あの先生には世話になっとるから」と名前も言わず支払いを済ませているんですから....かっこいいですよね?
周りからの印象って大事ですよね? 真剣にそう考えてくださいよ。
選挙の時の政治家見てくださいよ。はちまき締めて自転車に旗立ててあえて他人の視線から逃げてないですよね?
政治家だって選挙の時は、あえて駄菓子屋で10円のお菓子食べてみたり、わざと銭湯に入っておじいちゃんの背中流したりするじゃないですか?
いかにも「私は市民の気持ちがわかりますよ!」ってね。
TVカメラを意識してね。それと一緒ですよ。 大事なことですよ。
わかりますよね、これって重要なことですよね?
この試験って普通の大学入試と違って入学後、再び就職の業界変更ってないじゃないですか?つまり、「その後の人生」まで買う試験なんで何のために試験されているのか考えた方がいいですよね?、先生達が喜んで育ててやろうと思うような人間像を創らないとね。
その方がモチベーション出ますよ、きっと
あなたにとって大事なことは今の状態から脱出することですよね?
2次で試されるのなら逃げたらダメですよね?
<気づく能力チェック>
「なぜ、医師・歯科医師になりたいのですか?
よくあるケースで自分の過去の病気を献身的に治してくれた先生
の例を出して、自分がいかにその病気で苦しんだかを感情移入して
力説する場合がありますよね?
今、気づきましたか?
これって両刃の剣ですよね?、いかに自分が体が病弱であるかを
自分の口からご丁寧に説明しているのと同じですよね?
多いですよ。
自分をマイナスの方向に不利な方向に自分で運んでますよね?
言わなくていいことまで言ってしまう。
過去に「体力に自信あるか?」って聞いたことがあるような所で
こんなこと言ったらまずいですよね?
じゃーどうするのかですよ?
夏から秋にかけて現役生及びその保護者が焦り始める。例えば、名門国立付属高校なんかは私立高校と比較して評定の数値が厳しい。また、進路指導等も私立に比較して親切でない場合の相談などもある。
これは、より民間企業に近いかどうかがポイントとなるだろう。例えば、国立の推薦に評定で届かなかった場合は、「果たしてこれで良かったのだろうか?」となったりする。数字が足りなくて出願できないということになる。
あえて2~3番手ランクに進学し、ラクラク「5」に近い数字が取れたり、一生懸命やってもクラス全体が手強いため3.4とかあったりする。これで人生の選択肢が制限されてしまうことを考えれば、あえてぶっちぎりの評定をつかむためにランクを下げた学校を選定し、学校を無視して塾や予備校や家庭教師を使って次の受験戦略を取る生徒がいても不思議ではないと言える。
なぜなら全体が手強くてついて行っているのならいいが、全体が手強くて置いてけぼりの場合、悲惨な結末になるケースもあるし、学校に行かなくなるケースもある。
国立付属の場合、「独特の家族イメージ」があったりする。
フェアではないと言われても仕方ないのかも知れない。これは多分、親の方が「このように進んで欲しいな~」という未来像が崩れかけた時に危機感として生じるからだと思う。
親の信じて疑わない未来像はどこかで崩れるものと考えていた方が楽かも知れない。
穴に落ちてもそこから這いあがれる「強さ」を準備させておく必要があるだろう。
今の子は親の世代と違って打たれ弱いケースも多いから。
大阪にもものすごい人気のある付属小学校がある。今までにも色々な所から「あの小学校に入れたいのだがどうしたらいいか?」と聞かれたこともある。
髪を切ってもらっている時に美容師の人からも「あの小学校に入れたいのだがどうしたらいいか?」と相談されたこともある位だ。
その小学校に入れるためだけの幼稚園児の専門塾もある。ママ達の意気込みも強烈なものがある。本当に驚くべき世界だ。
結論から言いたい。付属校に入って高校まで温室状態は危険だと思う。やはり途中で中学入試や高校入試等の試練を与えた方がいい。自分で目標を持ち、自分から全てできる生徒は問題ないがそうでなければ「弱くなる」、「モロくなる」
この世界は間違った思い込みが多量に横行している宗教のような世界のような所がある。付属校で高校まで「完全温室」で育てると戦う気力さえもなくなっている場合がある。
人生の中で困難がゼロの人はほとんどない。若い内に鍛えた方が絶対にいい。
試練を乗り越える力を身につけておかないと年を取ってから苦労すると思う。
できれば若い時に試練を与えて老人になってから楽をできた方が順番としてはいい。....ですよね? これがわかってない保護者が多い。
本当の試練が来た時にものすごくもろくなっている。18年間の「温室状態」は危険だと思う。早い時期からの長期的な「楽」は後で大きな「苦」となって返って来る。
それは親だけの安心であって子供の成長という意味では間違っている。
「どうしてこんな間違ったやり方をしているのだろう?」と言うのがたくさんあるのがこの世界だと思う。「そう信じ込みたい?」のかも知れない。
強く鍛えていく試練は与えておかないと後で大きな「苦労」を与えることは間違いない。まず戦えないし、すぐ折れるし、楽を求めたがる。このようなケースも付属校で完全楽園生活を送って来た生徒にあることを伝えておきたい。
また、企業の就職試験でもエスカレーターで上がって来た生徒は苦労していないのではじかれるという事実を知らないのだろうか?、社会に出ると答えが出ない苦労や予測不可能な苦労に直面する可能性は十分ある。
そこで弱いという理由である。
そうすると18年後の受験でも就職試験でもダブルで苦労するということになる。
早くから完全なる「平和ボケ」を与えてしまった保護者にも責任があると思いますよ。「何か試練が来た時に戦えなくなってますよ!」と伝えておきたい。
入試がないと多くの場合、人間は勉強なんてしないですよね?仕方なしに強制的に勉強させる機会を受験というものが創ってくれる。
そう考えて見るとわかりますよね。
もう1つ例を出しましょう。今、大学生の会社説明会にも親が付き添いで来る時代なんですよね。
もちろん、子供より熱心に質問しますよ。気づきましたか?
親がついて来た時点で落ちますよね?、絶対落ちますよ。
親離れしていない、子離れしていないことをわざわざ出向いて証明しに行ってることになるじゃないですか?
つまり「弱い、1人じゃこれない」ということをね。そして休みだとか給与体系だとかこういう部署に廻してくれとか交渉したりする。
「うちの子は人見知りするから営業は無理なんですよ...」とか
本人の代わりに言うそうですからまずいですよ。
「どうか私達親子を落としてください」と言ってるようなものですよね?
でも、これに気がつかないで何十社も親がずっと付いてくる。
「熱意」がから廻りしてますよね。でも親子ともども全く気がついてない。
これ、今の時代によくありますよ。
わかるじゃないですか?、でも誰も教えてないから毎年付いて来ている。
資本主義の企業戦士を選ぶ場所なのに...ですよ。
弱肉強食の競争に勝てる戦士を選ぶ場所でしょ?
今、読んで初めて気がついた人も気をつけないとね
今年も熱心にぴったりくっついて付いていっている親もいますよ。
大丈夫ですかね?、そろそろ気がつかないと....
多分、全く気がつかずに親の方が「大丈夫よ!、次はいける!!ファイトよ!!」
「これからも2人で共にがんばりましょう!!」とか言って慰めて励ましてると思いますよ。
誰か早く教えてやれよと思いますけどね。
最近の入試要項はデザイン等非常に優れたものがある。特にデザインが素晴しいのは北里
大学医学部の表紙だろう。次点は金沢医大だろう。
国公立の入試要項は比較的地味だが、私立の入試要項は目を見張るデザインである。企業努力を感じる。よく私立医大の学費の高さを批判されることを耳にするが、現実にはどこも医大は財政的には苦しいのが実情だ。
CTスキャンの額とか考えると学費に反映して当たり前の所がある。そして少人数でマンツーマンに近い状態での指導を考慮すると当然と言えば当然であるように思う。注射器だって「何回も洗ってコスト削減しろ」なんて考えられないだろう。
理系の実験を要する学部なども何回も失敗して成功が産まれるわけだから当然コストがかかる。企業の開発費用だって同じだと思う。
現在の医療ミスや医師不足だってもともとの原因は、国の「医療費削減」から来ている。
削減すると別の部分で悪影響が出ることは否めない。看護婦だって足りていない。足りていないと労働条件が厳しくなり、ミスが増えるのも当然だと思う。病院だってこれから重要な手術が行われる日であれば、新たな患者はもう受け入れられないだろう。
人間が不足しているのだから。だから、患者からすれば「受け入れ病院がなく、たらい廻しにされたということ」だが、医療機関からすれば、「何とか受け入れ先を探すために必死で努力していた」の方が正解なのである。
アメリカなんかは、病院にかからないために「健康を保つためにトレーニングジムに通う費用やサプリメント等にお金をかける」と聞いたことがあるが、なるほどと思う。人間の体もどこかがいつかはおかしくなるのだから。
病院にかかる以前の段階にお金をかける。ただ、アメリカ型のような医療制度になると「弱者は全て病院にいけなくなる」のでまだ日本型医療の方がまだまだ優れていると思う。
極論だが、「注射1本10万円、風邪薬1錠5千円」なんてなったら誰も病院行かないだろう。
病院に行けない人がどんどん自宅で死んでいくような国になったらえらいことになる。
話は、最初に戻るが、最近の入試要項にはDVDもついているので良くわかる。各大学のスマートな売り込みに感動さえする。例えば、立命館大学には昔のイメージなど全くない。
小学校も大人気らしい。たぶん一流の広告代理店と組むと大学のイメージなど簡単に変えれる時代なのかも知れない。
塾では希学園のDVDや資料や厚さ2センチはあろうかというような体験記の資料が本当にすごい。まず、届いた資料の重さに驚く。
漬物石でも入っているのか?と思うだろう。更にすごいのは夕方に電話したら翌朝届いた。あまりにも早い対応に感動さえした。時代の変化とはサービス業の変化を産み出すものだろう。負けずに数学CのDVDを創ろう。
学生チューターは基本的に優秀な人材が多い。今の子は素直で癖のある学生の方が少ないと思うし、人材としても素晴らしい「輝き」を放つと思う。「若さ」というエネルギーは本当にうらやましいと心底思う。
しかし、学生チューターの盲点は1つに集約される。それは「見抜けない」という点にある。指導してて生徒が部分的にできて喜ぶのはいいのだが
「あの生徒、できますよね!」とすぐに思ってしまう。
実際は「あの生徒はもっともっとできないんだよ。」という点が見抜けない。
「じゃ、あの生徒の今のこの科目の偏差値当てて見て?」と言うとひどい場合は20以上を言ったりする。多分、自分の言ったことが理解できて自分の指示したことを一部完遂すると
自分がいいと思うメソッドを自分の魅力としてぜひとも提供したいという気持ちもよくわかる。
今、ここを読んでいる受験生が「来年から受験生の家庭教師の家庭教師をする」ということになった場合、まず自分だけの世界から判断した得意の参考書と問題集を「秘策」として準備するだろ?(笑)
最初、誰でそうなんですよ。でもそれが全てに通用しないし、否定される場合もある。
自分が「開眼した時の秘策こそが最高なんだ!」と思ってしまう。でも人間それぞれ違うんですよね。 全部つまずいた所が違うんですよ。
つまり、第2、第3、第4のシュミレーションが組めない。こういう時に経験値のバリエーションが要求されるんですよね。人間という生物ですからね。
つまり、一部評価する部分があると全て自分と同じようにしっかりやっていると思ってしまう点だ。そんな生徒なら予備校に来ない。
「いい方向への思い込み」が不思議と強い。実際はそんなに清涼飲料水のようにさわやかな後味なんてない。もっと基礎的で「泥臭い」ことをさせないとダメな場合がほとんだと思う。
「実際はもっともっとできないんだよ...」
これが見抜けない。
理由は「環境に対する洞察力」が欠けているからだと思う。進学校ですくすく育った生徒に底辺高校のカリキュラムは分からない。
親子のコミュニケーションがパーフェクトに育った生徒に常に親と比較されてバカにされて育った生徒の気持ちがわかるはずがない。わからなくて当然と言える。ものすごく難しい生徒を更正させた経験だって必要だ。
確かに気持ちやパワーや年が近いという「共有感」は大きな武器であり真似のできない素晴らしい要素だと思う。 これが最高の武器だと思う。
しかし、熟練した先生は時間にして30分位でほぼ正確に見抜ける。
ここに長年の失敗体験が生きて来る。 過去に人間を潰した体験や成功体験の両方が必要と言える。 特に多数の失敗体験が必要と言える。そこから「学び」があるから...
失敗の経験が貴重な「修正プログラム」として生きてくる。
ここに今まで出してきた「失敗の数=犠牲者の数」が生きて来る。
見抜けなくて当然なのだが...
でも「若さ」という貴重なエネルギーを持っているからそれはそれで素晴らしいんですよ。
これで中学の個別指導で大学生が指導している所の盲点がわかりましたか?
自分が成功した「1種類しかない秘伝のたれに合うか、合わないか?だけ」なんですよ。あとは好き嫌いの相性だけですよ。
「1種類の秘伝の奥義」を強制されてうまく行く場合もあればいかない場合もある。
全然、変化していなかったら理由を考えることですよ。
ほとんどの家庭教師もそうですよ。
だから真面目な大学生がですね。
「まるで自分のコピーを創っているようで罪悪感を感じて辞めました....」
「複数科目教えていて、自分と同じ部分が不得意になって行くんですよ...」
なんてこともあるんですよ。
「1種類の自分と同じ勉強方法の強制移植」ですよ。4種類も5種類も指導バリエーションはないですよ。「これで俺はうまくいったかたら君もうまくいくはずだ!」ですよ。ここの問題まで考えている指導者もきっと少ないですよ。
だって1種類の技術を4種類から5種類に技術アップさせる教習所あります?
ないでしょ??下手したら何十年も進化しない業界なんですよ。
教える方は「自分がうまく行った秘伝が最高のものであり、万人に通用するものと思い込む」そしてお客さんはそんな所まで考えたことがない。
情報を追いかけたこともない。不思議ですよね?
そして多くの勉強したことがない父兄が感情だけで常にイライラしている。
これがこの業界の大きな特徴ですよね?
また、誰も本質や原因を教えてくれない。わかったら少しは楽になりますよ。
もう1歩踏み込んで考えてみましょうよ?
よく面接等で聞かれる質問の中に「ボランティア経験はありますか?」というのがある。私立
高校の中には学校行事で義務として行かせる所もあるが、非常にいいことだと思う。書類の空欄が埋まるし、面接でも自分の経験があれば、内容を膨らませることもできる。
今、医学部や歯学部を受験する生徒でやったことがない生徒などいないのではないか?と思う。もし、やったことがなければ、短期間でも地域の「廃品回収」でもいいから参加して既成事実を創るべきだと思う。
1つの理由として「医療と福祉」は切り離せない関係にあるからである。また、短期間でも「どういうことを学んだか?」その意見を聞きたいというのもあるだろう。高校時代の級友で離島で社会福祉協議会の幹部がいるが、特別養護老人ホームの中を見た時は非常にいい経験になったことを覚えている。
今は様々なサービスがあり、価格に応じて色々な所があるので一概には言えないが、「人間は子供で産まれて子供に戻るのかもしれない」と思った。おばあさん達がすべて幼稚園のような汚さないような黄色の「かっぽう着」のようなものを着せられて、胸に「きよちゃん」「あっちゃん」「のりちゃん」だとか布で作られた名前が貼られて、みな「おかっぱ頭」で統一されていた。
私が訪問した時は、女性の高齢者が非常に多かったことをよく覚えている。女性の方が平均寿命が長いからではないだろうか?特養はまさに人生の最終ステージである。
壁などまさに幼稚園の教室の再現のようで文字が大きく、クリスマスツリーの飾りのように壁の上等に色々なものが飾られていた。認知症でフランス人形を背負っているおばあさんもいた。建物の裏には、洗濯機がものすごい数並べられており、ものすごい数の洗濯物が異臭を放っていた。汚物というか、洗濯物というかすごい量だった。
離島でさえも老人ホームに入れる人間と入れない人間とがいる。
基本的には要介護5で身寄りのない老人が優先だ。 仕事がないので若者は自動的に田舎を離れる。こういう田舎は本当に多いだろう。老人が老人を介護するという現状だ。1人で生活している老人も多い。
80歳のおばあさんが、90歳のおじいさんを介護している現状だ。寝返りしたくても相方の力がないので動かせない。大変な世界だ。地域で支え合うといっても限界がある。
1人で住んでいる老人には「緊急連絡ボタン」というのを持たされて、ボタンを押せば、社協や地域の人につながるようになっているが、友人が言うには、「緊急ボタンも、倒れた後では押せないんよ。ボタンは意識のある間に押せるやろ」と言った時にはなるほどと思った。
そのまま死亡して発見されるまでに相当の時間がかかる場合もあるそうだ。
都会に出た子供も親の健康が気になって仕方がないのだが、交通費が高くかかるので頻繁に帰れない。
親の「遠距離介護」ができずに涙を流している子供は本当に無念だと思う。JALやANAや新幹線等の交通機関で「遠距離介護割り引き制度」も一部日本エアシステムにあるが、たいした額の割り引きではない。何の効果もない。
「じゃあ田舎の老人を都会に連れていって一緒に住めばいいやん?」という声があるかもしれない。それが、長年住んだところを離れたくないのだ。
友人によれば、「無理やり連れていっても環境が急激に変わると病気するんよ」と答えてくれた。
一番の子供の無念は「危篤状態から亡くなるまでに遠距離のため時間的に間に合わない」ことだと答えた。特に深夜に危篤情報を受けても船は翌朝にしか出ない。最後の瞬間に立ち会うことは不可能だ。家族に囲まれて死にたいという最後の願いさえかなえられない。枡添要一厚生労働相には期待している。
なぜなら自分の母親の介護経験があるからだと思う。介護や福祉に対する意見には経験者であるために説得力がある。枡添さんの介護の本のタイトルは「母にむつきをあてる時」だったと思う。
むつきとは「オムツ」のことだったと思う。考えさせられる本だと思う。 昔の子供が多い時代であれば、子供同士が協力して一致団結していれば、「家族力」が強化され、親も安らかに死を迎えられた。これからは子供が少ない。葬式に参加した経験があるならば、「お通夜から葬式まで仕切る」のがどれだけ大変かわかるだろう。
これからの親は、死ぬ時も子供に大きな負担をかけ、子供も兄弟が少ないので「家族力そのものがなくなる」ので親の介護はもとより、親の葬式さえ仕切るのが大変になるだろう。兄弟という最強の協力者が多ければ多いほど、介護や葬式の負担は楽になるのだから また、介護は終わりが見えない。10年以上介護する場合だって十分考えられる。
少子化は家族力そのものを減退させるものだから大きな問題だと思う。
よく「お前、がんばれよ。そんなことじゃ、いつまでたっても変わらんぞ!」
と言っても、「がんばる???、はあー???」
「努力、はあー?」、「根性、それって何ですか???」みたいな生徒がいる。共通しているのは素直でいい子というか小利口というか何でも信じてしまうような、ある意味「大丈夫かよ?」とこちらが心配する。
私みたいな全てスポ根世代の激熱70年代を楽しんで来た人間からすれば「君、この先大丈夫?」みたいな生徒である。お母さんのことを「母上」と読んでそうな「貴族のような生徒」と言えばわかるかも知れない。
大体、両親が忙しすぎて金銭で与えられるものは全て与えられて来た結果、「そういう精神世界なんて何????」となってしまったと思う。
私なんか彼らからすれば「70年代の化石」だろう思う。
かと言って、彼らは勉強が全くできないわけではなく昔の「精神論」の世界など自分には何のことかわからないような状態になっている。
私なんかは「ハングリー精神のメカニズムは一体何なのか?」その根源や原動力を追及するためにタイのバンコクまで行ったタイプだからお互いがお互いを理解できないのはよくわかる。(笑)
つまり、産まれた瞬間からタイのキックボクシングでギャンブルの対象になるか女の子であれば自分を売って生活しなければ生きていけない人達に聞くことによって答えが出ると思ってわざわざ行って来た。
自分で解明できないことは人に聞くにつきる。
バンコクに行ってジムを探すのに時間がかかったが、驚いたのは刺青の入ったヨーロッパ人がたくさん修行に来ていた。聞くとほとんどがオランダの用心棒だった。たまに日本人も来ていた。
「よくこんな下がコンクリートで練習なんてできるな?」と思った。しかし、いざ練習を見るとさすがに本当にすごかった。やはり、環境なんだなと思った。
人間というより「獣」のような殺気と迫力だった。
子供でさえも全然迫力が全く違う。
海外に行くとはだしで子供の物乞いに囲まれる。最初はかわいそうだと思うのだがあまりにしつこいのでキレる観光客もよく見る。
シリアでは1日12時間労働を子供がさせられて日当100円とか言ってたな。
外国を見たらいかに日本が完成された国かよくわかると思う。
「でもこの先は大丈夫かな?」と思う。
ニューヨークではかの有名なブルックリンに行こうと思ったが、タクシーの運転手が「これ以上入るのは危険だ、行きたくない」と言われて遠距離で見ることしかできなかった。 (普通の人は絶対に行かない方がいい。)
でも私自身は軍国主義でも何でもないが、今「徴兵制度」が復活したら今の日本人って最弱かも知れないな?なんて思ったことがある。
人口減少が行き過ぎてアメリカのように移民を受け入れないと国が成立しないようになったらどうするんだろうとも思ったこともある。
世界一安全な国と言うのは本当に素晴らしいと思う。スペイン人の友達と大阪の梅田を歩いていたら、「どうして警察官が道に立っていないんだ?」とびっくりしていた。「お前の国は警察が少な過ぎる!」とかも言っていた。(笑)
でも逆に言えば、今、そういうハートの強さのようなものを持った若者が突出しやすいから逆に今がチャンスなのかもなとも思う。
でも「長年の染みついた環境を変えるって至難の技かな?」と思う。
最初に上げたような貴族受験生も多くなってるような気がするから
もう一つはデリケートで壊れやすい受験生も多い。学校を辞めてひきこもっていた生徒の中にもものすごくできる生徒もいる。
全国的に見ればかなりいるだろう。
とにかく今の時代はしょーもない理由ですぐ辞めるから....
新聞の広告欄見てもわかるだろう?不登校の学校の説明会の広告が一番大きいだろう?
つまり一番大きいということは広告代金が一番高いんだぞ!
もったいないとしか言いようがない。日本では履歴書や調査書等は最も重要な書類と言える。 だってそれしか判断基準ないだろ?
こういう生徒を見ると残念でならない。わざわざ自分の履歴を傷つける必要もなかっただろうに...と思う。 また、誰もなぜ止めなかったのか?とも思う。
なんと言うか壊れやすい若者が増えているのでちょっと人に傷つくようなことを言われると10倍位の立ち直れないダメージを受ける。
「この先、大丈夫か?」と思う。
例えばこういうのもある。男の子で本命の女の子に告白してふられると傷つくので自分の中で2ランク、3ランク落とした女の子にアタックするというケースだ。本命じゃないからふられても自分が傷つくことはないと先に安全路線を選んでから動くそうだ。
ランクを下げて選択された女の子もかわいそうだが...
(読んでいる生徒の中にも「ドキッ、俺のことや!」と思う生徒もいるだろう)
永遠に困難やダメージを避けて生きてはいけない。もっと精神的に強くならないとまずいと思っているのは私だけなのか??
それともステレオタイプに見てしまう老化現象の現われか?でも親達は亡くなっているからいいかも知れないが、こいつらはもっと生き抜くのが難しい日本に置き去りにされることを忘れてはいけない。
予定通りに行けば80年位生きるから...ずっと平穏無事なわけないだろ? 困難にぶつかった時が問題だろ??
精神的にも根本的に強化される肉体的にも再強化しないとまずいのではないだろうか?書いている私ももう何十年で亡くなっているのだから「次世代への危機感」を感じているのから言いたいのかも...
老化現象かも知れない...「うざい!」と言われて終わりかな?
でも「次世代に遺言残せ!」と言われたら何と言うかな?
そうだな、大学生が就職できず、経済状態が最悪で生活保護世帯が206万人の時代だよな....
これから15年もすれば65歳以上が50%超えるんだろ?
数字的にも今の親世代を支えることは不可能なことは明らかだ。
多分、「時代を予測しろ、その能力をつけろ。そしてクレバーに生きろ!」かな?または「お前の耳と耳の間にあるもの(頭)を使って考え抜けよ、気づけよ!!」かな?
今日のポイント:「情熱は教えることができない。自分で自分を鼓舞するしかない!」
先日は、地方や離島の遠距離介護の現状と少子化による家族力の減退を混ぜ合わせて書いた。そのまま面接の答えとして利用できると思うので参考にしてもらえれば幸いである。
面接や論文は、ずばり「説得力」である。
砂糖の甘さや塩の辛さは「なめた者でなければわからない」ということだと思う。いよいよ来年まで77日となった。全国の受験生の健闘を祈る。
季節の変わり目は、体調を崩しやすい。ぜひ、「手洗いとうがい」の励行を実施してもらいたい。「大丈夫や、俺は」とか思っていると痛い目に合うと思う。
人の多い所も避けて通過する位でちょうどいいと思う。大体、本番では最悪の場合を想定して行くものだと思う。「ベストの時の7割位しか出ないもの」と自分に注意を与える位でいいと思う。
一番大切なことは、「時間配分をミスしないこと」だと思う。これに失敗すると後々の科目に影響してくる。そしてこれをミスると「心のブレ」が大きくなる。最後の見直しの時間を引き算して、どの問題に何分かけるのかを素早く割り振りする。
まず、やらなければならないことは、問題が配布されたら「全部の量を確認して、どこの問題に何分割り振るか大体の目安をつける」これが最も重要なことだと思う。
理科の120分の場合は、どちらの科目から先にやるか素早く判断する。
また、「直前に何を見直すか?」これを決定すること。誰もがやっていることだが、改めて紹介する
例えば、朝なんば駅から梅田駅まで地下鉄15分(数学公式の確認)、それから阪急梅田駅から高槻駅まで(英単語重要単語の再確認)、それからバス15分(理科2科目最終チェック)のように乗車している時間に何を確認するのかまで細かく決定する。次に試験と試験の間に何を見直すのか全て決定して無駄のない戦略を決定するのである。以前、記事で書いた「受験勉強は皿廻しだと。当日、全ての皿を高速フル回転に持っていくのだ!」という理屈である。
例えば、次は英語であれば、ほとんど長文のために単語力を鮮明にするために見直すだろう。当然、覚えにくいものだけを高速確認するのが普通だろう。
「単語集の中からその覚えにくい単語のあぶり出し作業が終了しているかどうか?」が重要なのである。また、難解な長文がドーンと1題目に登場したら、すかさず日本語の問題の方を先に見て書いてある内容をある程度推測してから英語の方にもどる。本文の内容に一致するもの、しないものとか書いてある場合は、逆にチャンスだ。あっていようがいまいが大体の長文の要旨を先に問題から推測するのである。全くヒントがなくて、何度も文頭に戻るよりは数段マシである。
パターンが決定していたら、当然それに合わせたやり方を決めるだけである。
試験というのは、最後に見直した1つの知識によって勢いづいたり、「最後にあの部分見直せばよかった」と悔やんだりするものである。
「細心の準備をして大胆に実行する」
そして、最後はマイケルジョーダンの言葉を刷り込もう。「恐怖は幻想である」と
私は受験生に「願書は早く出せ、受験番号が早くなる。ということは意識の高い受験生に囲まれ、やる気のある受験生に囲まれるから」というのが理由である。
受験番号が後になればなるほど「やる気がない」という評価もあながち嘘ではない。
「横のあいつのせいでできんかった!」と言う受験生は多い。
「横に変なやつ座るなよ」と祈る受験生は多いと思う。解答欄が白紙のやつがいたら「お前、そんなことで大丈夫か?」と人の世話までやく受験生もいる。
「なんで、初めて会うお前に言われないといかんの???」となる。
逆に笑顔で「簡単でしたね??」なんて微笑みかけてくるやつもいるものだ。
隣に座るであろう「未来の未知の人物」は重要なんですよね?
かなり細かく書きましたが、知らないより知っている方が読者がミスをすることはないと思い、書きました。 試験当日はあらゆることを想定して冷静に準備してくださいね。
<シーズン中のアクシデントに注意>
2、3日連日入試を朝から晩まで受けると本当に精神的に疲労することになる。
そこで夜遅く風呂に入る生徒がそのまま朝まで風呂で寝てしまい、湯が冷めて冷たくなって初めて寝ていたことに気がつく場合がある。
そして風邪をひいて高熱を出す場合があるため、保護者は受験生が夜遅く風呂に入る場合は気をつけた方がいいだろう。朝4時まで風呂の中で寝ていた女子生徒もいた。(幸い風邪はひかなかったが...)
意外に何が起こるかわからないことが本当に起きたりするので注意した方が良いだろうと思う。
<シーズン中のアクシデントに注意PART2>
よく地方の受験生が何度も都会の会場に往復するのが面倒くさいからといって2週間以上も長期滞在してがんがん受験していって「どっか引っ掛かればいい」戦略を取ろうとして体調を崩して終わりというケースがある。
大体考えてみたらわかると思うのだが、「環境の変化」は体調にものすごく影響を与える。3大学も連続して受験したらどれ位の疲れが来るかわかると思う。
微熱状態でも大変だと思うのにそれがわからず強行手段を使ったりする。
体力に自信のない生徒は面倒くさいかも知れないが自宅にもどって休養した方がいい。コンディション調整の失敗は取り返しがつかない。
深夜にホテルで高熱を出す、試験日に疲れがたまって起きれない。
色々な想定外のアクシデントが待ち構えていると緊張していた方がいいですよ。大体、入試会場人が多くて細菌だらけだと思った方がいい。誰かからウイルスもらう可能性だって高いですよね。
気をつけて行くべきですよ。
今、全国マーク模擬試験の過去問題の復習タイムだ。マークシート用紙を使いながら練習している。たかが、マークシート用紙だが、塗りつぶす練習もバカにはできないと思う。なぜなら当日「特別に見えるものは一切ない方がいい」ということだ。
もし、マークシート用紙を2重に書き込んでいたら一貫の終わりだ。最後は定規や鉛筆や下敷き等で2重塗りつぶしを調査することは大切なことだと思う。
コンピューターがミス解答用紙とはじき出したら、受験料、交通費等、時間等全てパーになる。シャーペンを持ちなれた生徒が急に鉛筆を持つと「違和感」を感じるのと同じだ。現在は、週に3回タイマー計測して時間内に仕上げる訓練を続けているが、「時間感覚を体にしみ込ませる」ことは大切なことだ。
ボクサーは3分という時間を体で覚えている。それ位でないとダメだと思う。小論文だって書くのを止めたらかけなくなる。起承転結のタイミングがズレてくる。人間は忘れる生き物だから模擬試験の復習は、基本問題から基本知識を再確認するのに最適だと思う。医学部等の難しい問題ばかりやっていると「ストレートが投げられない変化球専門のピッチャー」になるような気がする。
特に生物なんかははまってしまうと「重箱のスミ」ばかり追いかけたがる生徒が出て来る。
外側の細かい所ばかりやると中心がガラ空きになる。医学部受験生の生物のレベルは高いのでこだわる気持ちはわかるのだが、中心知識への意識は重要だと思う。
化学は薬学部の問題で練習するのも良い。数学と化学の2刀流の森井先生のアイデアだが、訓練には医学部の問題より薬学部の問題の方がよく練りこまれているそうだ。そういえば薬学部は化学が中心だよな。勉強というのは、ちょっとしたアイデアで新たな刺激が産まれるものだと思う。
指導者のメニューというのは常に「変化と刺激を考慮し、この問題を実施する意図に説得力がなくてはならない」と思う。その部分を外すと「退屈で苦しい重い時間の空間」になる。
最も授業がうまい講師は、「授業時間を大幅に短く感じさせる」講師だ。それだけ夢中にさせたからその影響で時間を短く感じさせたわけだから。
これがベストだと思う。 「あれーもう終わったの?」と言わせる技術だと思う。
シンデレラのように生徒が終わる時間を心待ちにして時計をちらちら見るような授業は「商品」にならない。 ビデオ等に録画して自分で見て他人にチェックしてもらわないとわからない。
まず、コミュニケーション能力と人間力を上げて、教材に「変化と刺激」を盛り込むことだと思う。 そうしないとお客さんは、お金と時間と労力をかけて通学して更に「苦痛」の時間にお金を払うということになる。
受験生の自己管理の「成功の鍵」は前半戦にあると言える。毎年のごとく秋以降は、「流れるように時間が過ぎていく」、そしてカレンダーで見ても逆算できる位になって初めて、「まずいな、間に合わないや」となる。
そこから急激に別人のように変身して走り出すのだが、その時になって意識が高まりやるべきことが本当に見えて来て焦りまくる。この「意識の高まり」をどれだけ早く持ち込むかが勝負と言える。
それは廻りの環境やどんな指導者がどんなことをしゃべったか?、友人や受験仲間がどんなことをしゃべったか?、それがどこまで腹に落ちたか?とかに左右される。また、それをどれだけ真剣に聞いていた自分がいたか?にも左右される。
素晴らしくいい話をしても本人が「親と同じでうるさいな!」と聞かなかったら進歩はない。
これも全て「心の問題」と言えるだろう。
「時は必ず過ぎていく」、これが人間わからないものだ。急に津波が来てパニックで走り出す人間に似ている。
「苦労を小分けにする」、これが津波が来る前にできないんですよね....
失敗した経験のある受験生ならわかりますよね?
最後の2ヶ月から3ヶ月前位に自分が4月に立てた計画のいいとこ3分の2位しか達成できていないことに気がつき、必死で軌道修正して計画も全面変更して間に合わせようとしましたよね?ここですよ、気がつかないといけないのは...
あらかじめ最後の2~3ヶ月は「加速しているようで実は失速している。」
そういう状態になる可能性が高いということを頭に入れておかないといけない。
受験生の背中から出ている炎に名前をつけるとすれば
「猛烈な炎を出して追い込みをかけている受験生」ではなく
「焦りでパニックになって動揺の炎を出してなんとか計画未達成だけは避けたい受験生」
が真実ですよね?
だから最初から「軌道修正は起こるもの」と認識すべきですよね。
受験生や保護者ももう気づいていると思うので書いてみたいと思うのだが東大合格者の保護者の平均年収は究めて高い。つまり、企業と同じで資本力の差が大きく出ていることは否めない現実がある。
しかし、この情報化社会から上手にヒントを取って大成功する場合もある。
でも昔のようにギラギラ牙を剥いた受験生も多くない。大事に育てられているからかも知れない。 草食系が多いとも言われるそうだ。
大手予備校から流れて来た生徒に見られるのはオーソドックスな問題には対応できるがネチネチした網目の細かい問題には対応できていない感じがある。これは授業数の少なさによる「詰め」がかけているからだと思う。そして基礎ができていない生徒は全くできていない。
勉強の定着も習慣も全てできていない。「流されて終わり」と言える。
DVD授業だけやって来た生徒に見られるのは自分の実力とはかけ離れた「裏ワザ」やDVD出演講師に心酔した「秘伝テクニック」に傾倒して基礎をおろそかにしている場合が多い。参考書の数だけは誰にも負けない位購入して軽く見ただけでやり込んでいない参考書コレクション受験生に多く見られる。
DVD授業の盲点は何かと言えば、「眠くなる」という弱点がある。これをライブの生授業とミックスさせれば効果的だと言えるがDVD単体だけではつらい。
一番いいのはDVD出演講師本人のフォローを受けて初めて武器となる。
一言で言えば、「見て終わり..」になる生徒が多い。
そしてフォローでFAX添削等を希望しても、まず出演講師が見ることはなくそのDVDさえ見たこともないチューターが希望開始後3ケ月後に返事が来たりすることは有名な話だろう。本部1ケ所で店舗数を考えると当然だろう。
だから、眠くさせないために「派手なパフォーマンス」や「裏ワザ」や「トリック」を意図的に入れられているのである。
だって寝てても誰も起こしてくれないから....クラブ終わって疲れてDVDの前で寝てしまっていた。「週3日寝に行っている」なんてよく聞くだろう?
そんなにギンギンに燃えている日が続くわけがない。寝ている生徒は頷いているだろう。(笑)
部屋が暖かいとDVDが「熟睡ミュージック」になるはずだ。気がついて起きて巻き戻して見るがイマイチ集中できない。 そういう経験あるよね?
つまり、パソコンの前のお客を眠らせないために意図的にそういう創りにしなければ寝てしまうからである。そこに気づいてない基礎力のない生徒が「秘伝のタレ」を洗脳されて追及してしまうという弊害が起こると思う。
基本的に基礎力のない生徒は「マジック」を追及しない方がいい。
DVDは生ライブとミックスされた時の補助的武器とも言える。ただ、地方で何の情報もない所ではそれに依存するしかないというのが実状だろうと思う。
どこまで我慢できるかの問題と言えるだろう。 DVDの最強の効果は出演講師のライブ授業とミックスされた時に協力なツールとなる。なぜなら、講師が理解して欲しいポイント等が微妙にズレたままで放置状態になるからである。
その後の発展と実力確立のための手段やプランの打ち合わせを出演講師自らの助言がもらえないという所に弱点があり大切な部分でもある。
簡単に言えば「なんとなーくわかった」ような気にさせられるのとその後の問題集や参考書の打ち合わせだとか出演講師とのコミュニケーションが取れない所に弱点があり、遠隔指導の弱点と言える。
もし、やるならリアルとミックスさせる場合が良いとも言えるが1年間DVDを見続けると視力も落ちるし、今疑問点を画面にぶつけたいが解を得られることができない「もどかしさ」が出るはずだ。
人間対人間に産まれるのは「刺激」なんですよね。機械は「刺激」をさほど提供してくれないんですよ。人間には対人間から得ることのできる「刺激」が必要なんですよね。
これに気がつくことも必要ですよね。
たまには他教育機関で指導されている方へ向けて書いてみよう。私自身は、指導の一線からは離れてサービスの向上や生徒管理や講師対応、保護者対応が中心となっているが、現在教育機関等で指導している方に向けて書いてみたい。
また自分の反省を再確認するために書いてみたい。お客の側に立つことが出来て初めて理解できたことも多数ある。気づいただけ「まし」だと思うが。それは、いかにこの仕事が「自分の思い込みの強い仕事」であるかということだ。
大体「先生」と呼ばれる職業の方々は自分で戒めないとどんどん思い込みが強くなると思う。気をつけて欲しい。非常に危険だ。先生の定義は、「先に生を受けた大したことがない人間」位の評価で良いと思う。
例えば塾の客は生徒だけではない。生徒のためにお金を支払う保護者も含めて「お客」である。例えば、先生達が全力で指導していても、保護者が忙しくてその努力が伝わっておらず、生徒が受験に失敗すれば恨みの対象になるかもしれない。
あるいは、先生が全力で指導している指導のスタイルが、他の先生から見て明らかにピントの外れた指導であれば、保護者にそれが識別できなければ「とんでもない時間のロス」である。先生だけが「いい仕事したな~」と自分に酔いしれているのだから。危険きわまりないことである。
なぜなら、他のサービス業と絶対的に異なる点は「商品が残らない」ということだ。普通お金を支払えば、商品が残るから不満は残らない。いいたいことはもうわかると思う。「目に見えない空気のようなもの」を販売しているということだ。その空気は「誤解の空気」に変わるかもしれないし、「疑惑の空気」に変わるかもしれない。正直、「無駄な価値のない空気」かも知れない。
これを読んで「そんなの考えたこともない!」と思っている先生達は「自分の方向からしかものを見れない危険」を持っていると思うし、気がつかない思い込みだけのサービスをしている危険があることを忘れないで欲しい。おそらく今まで多数の犠牲者を出していたことにも気がついてないし、現在も犠牲者を出し続けている先生だと思う。
先生達の発している「空気」を一週間毎に監査してチェックを入れている所は世の中のどこにもないないからだ。
思い込みの強い例として塾の先生が、夜12:00を超えて指導している場合だ。その先生は、「保護者に熱心さを売ろうとしているのかもしれない」、ところが保護者は「こんな物騒な時代に女子も含めて深夜まで指導する常識のない先生」となるのである。
生徒は、翌朝早くから起きて学校に行かなければならないのに、塾の先生は翌日昼まで爆睡している。おそらくこの先生は、感謝されているはずだと信じて疑っていない。
「お客からの視点」が絶対的に欠けているケースである。
高校の現場だって「強制補習」といいながら全然役に立たない指導をしている場合だって多数ある。でも、先生達は心の中では「親身の指導」と感ちがいしている。
そして「これで塾に行かなくて済むから(別にお金もかからなくて済むから)保護者も感謝しているにちがいない、間違いなくそうだ」と思い込む。
高校3年の夏に1ヶ月半も時間のロスをしたのだから、実際は「取り返しのつかない被害」である。
こういうことは多数あると思う。自分も含めて常に気をつけないと危険だと思う。
なぜなら、気がついてない先生が圧倒的に多いのだから
よく医学部受験生やその保護者が「浪人は仕方ない」と言うのを耳にするが、その言葉が出ている時点でプラス2年される可能性は高い。現役生で「浪人するつもり...」と発言している時点で、心に余裕があり、すでに努力をやめており、緊急モードではなく余裕モードに心が占領されていることとなり現実にそうなる可能性が高い。
親や周りにそう言っている人は図星の所を突かれて「ギクッ!」としてますよね..(笑)「ごめんね、これで親がここ読んでたらもう言えなくなったね。」
でも、現実そうなんだよ。適当に流した1年は何の教訓にもならないからね。
それでは浪人の正体とはつきつめて言うと何なのか?接近して検証してみたい。
気軽に浪人ということばを使用しているが、意外につきつめていないと思う。
<巻きもどしのステージ>
(1)特に数学に現れるが高校時、中学時、悪い場合は小学5年、6年までさかのぼって固め直す必要がある。この「作業」により間に合わなくなる。わかりきったことだと思うのだが、普通の予備校は9ヶ月で終了するから「巻き戻し」してくれない。
しないのが当然なんだから。わかり易く言えば重要な小学5、6年の計算力が抜けていてそこに更に難しい現実の問題を秋以降にがんがんやる。これが普通であり、そうしないと間に合わない。そうすると4月から7月までの4ヶ月に小学または中学時代に戻るというのは現実にありえない。逆にあったら予備校がクレームの嵐になる。
土台の部分にがよろよろしているのに「予備校行かせたらなんとかなる」と考えている。
普通9ヶ月の中の前半4ヶ月の中に「小学5、6年までまたは中学の巻き戻し過程はカリキュラムに含まれていない。そして誰もそんなことをご親切に指摘しない。
この状態を2~3年以上も気がつかずに繰り返している。
そして保護者も予備校に行けばそのサービスまで含まれていると大いに勘違いしている。
肝心の主人公である受験生は映画のシアターで映画を見ているだけのようになり、根本的な「土台の強さ」や必要な情報も得ることができずに自然に終了する。例えば、イメージ的に高校数学の一単元がうっすらとわかっても計算力がなかったら中身スカスカ状態の野菜のようになり、最後まで足を引っ張るようになる。
浪人生のパターンはおもしろいように数種類の同じパターンの成長パターンになり、どの科目で足を引っ張り、苦労するかの完成パターンも同じようになる。「このままいけばこうなる」が究めて予測しやすいとも言える。それを本人は気がつかないのだが.....
(2)再受験生なのが卒業して全て知識が洗い流され、一から独力で「再インストール」して苦労するのもここにある。独力で自己流でやるために「変なクセ」までついてしまい、点数が一定のラインで伸び悩むのもここにあると思う。王道から外れるためにここにつながる。
最後の10%に伸び悩む。
<システムのステージ>
(1)学校や塾のシステムが合わずに停滞するケース
(2)学校のただ痛めつけるだけの長時間強制補習で勉強したフリになっているケース
(3)今、強化すべきなのは他科目なのにシステムの都合上、強化できず僅差で敗れてしまうケース
<方法論のステージ>
(1)山ほど参考書を持っているが一度も回転していない。「勉強方法や参考書問題集の組み合わせ」にいつまでも自信が持てず前進していないケース
(2)あくまでも授業は未来への指針であり、「自学の完成度」が成績の急上昇につながる。
いつまでも補助付き自転車に乗っており、自分で自転車を運転できないケースに似ている。
ここに到達できないか、ものすごく時間がかかるケース
<情報分析のステージ>
(1)たしかに相手に合わせた情報分析や数字の吟味も必要である。2次科目やその試験に独特の情報を持ち、「情報武装する必要性」も当然ある。知らなかったで1~2年棒に振る可能性は高い。
(2)廻りに詳しい人間がいない「自分だけ浦島太郎状態」であり、毎年激変しているのに中間・期末テストレベルと意識の変わらない環境にいて自分から探そうともしない状態。
親が代わりにわけのわからない情報を入手してそれを鵜呑みにしている状態。
自分が受験するのに、「待ち人間状態」、「待っていれば誰かが持って来てくれるだろうのおめでたい人間状態」
(3)逆にあらゆる多種多様な情報が多すぎて自分の「立ち位置」が定まらず、右往左往して何も手つかずか中途半端で自信の持てない状況で不安だけになっている。
確かに情報が多すぎて取捨選択するには難しいと思う。そこに恵まれているかどうかも影響してくるだろう。多浪生の中にも「何を信じていいのか?」とループに入って出てこれないケースもある。「運」というのはこういう点に影響するのかも知れない。
<意識のステージ>
(1)目的意識が強固になっていない場合、仕方なくやっている場合
(2)異常に緊張する場合、自分のコントロールができない場合
(3)計画を立てることができない場合、立てても実行できない場合
(4)危機感が持てない、「持て」といってもわからない、伝わらない状態
(5)モチベーションの上げ方が下手なケース、持続力が著しく低いケース
受験勉強の半分以上は「意識改革」だと思う。心の導線に火をつけることができる技術と言い換えることもできるだろう。この当たり前のことに気がつかない保護者も多い。究極の真面目成績優秀家庭教師がやる気のない生徒に隣で念仏を唱えても全くの無駄金が計上されていくだけである。
親はそういう技術も指導者にもれなく付いて来てその人の人生が乗り移ると思うようだが残念ながらそうではない。 やる気のない時期、とりあえず受験状態の時は1年が究めて長く、講師の顔を見るだけで苦痛で苦痛で仕方なく終わるまで耐えているのだから...
この意識改革が難しいから指導が難しいと言える。指導に悩んでいる指導者はここが伝わらないから悩んで悩んで精神科に通ったりするのだと思う。
最初から意識の完璧な生徒はまれである。ここに時間がかかるから浪人の年数が増えるとも言える。ただし、ここがいったん完成すると流れるように進んでいく。 自分で自分の乗った船を操縦できるようになる。
ただし、産まれてからずっと真面目の手本のような生徒はいないし、いたらかえって恐い。なぜなら紆余曲折あって当たり前であり、ないとどこかで爆発するかも知れない。全て親の思い通りに動くことはまずない。
衝突があって当たり前だし、それが普通だと思う。
つまり保護者は成長の過程の当たり前のことが見えてなくてキレている。
全て親の思い通りに動いて最後に家に火つけられたらシャレにならない。
3歳位の保育園児が50歳位の倫理と道徳観持ってたら気食悪いしね。(笑)
<環境のステージ>
(1)全ての詳細部分に親や親戚が圧力的に関与する場合
(2)親が子供を潰している状態に親が気がついていない、聞こうとしない状態
(3)勉強方法やシステムを強制的にコロコロ変えさせられている状態
(4)家庭環境が悪く勉強に集中できない状態
(5)可能性はあるのに指導者が才能を停滞させている状態、もしくは潰している状態。
もしくは慣れ合い状態で楽しいだけの状態。個人的な宴会状態。
(6)今の時代、厳しく叱ったり注意をしてくれる人間を探す方が難しい。
したがってあきらかに間違った環境に停滞しているのに気がつかず放置状態のケース。
(7)上のケースの逆で注意されているのにもかかわらず、わがままし放題に育てられて聞く耳を持っていないケース。またはプライドが高く聞こうともしないいずれ見捨てられるケース。
<家庭の事情のステージ>
(1)兄弟がいるため自宅通学可能の進路先しか許可されない場合、または下宿が許可されていない場合
(2)東京の下宿は許可されていない場合、国公立で自宅通学のみしか許可されていない場合
(3)プライド上、新設医大は親がいかせない場合、イメージの悪い大学の受験は絶対に許可されない場合、ランキング下位や親が受験校決定の絶対的権利を持つ場合
(4)地方校受験が許可されていない場合、根拠のない噂で受験許可の出ない場合
(5)今まで出会った研修医、あるいは自分の部下等が「使えなかった人材」だった場合
その人の出身大学全てが悪いと決めつけている場合に親が子供に「その大学は受験させない」場合がある。そしてその大学に合格しても当然祝福しない場合。
(こういうケースは進路指導が非常にやりにくい。ろくな医者になれないと信じている。したがって志望校は絞られる。)親の決めた所しか受験できない場合。
<メンタル面の強さのステージ>
(1)大体10月位から焦ったり、諦めたり、情緒不安定になったり精神的管理に苦しむケースが多い。全くやる気がなくなったりする場合もある。
(2)本番だけ頭の中がまっ白になる。面接で面接官に突っ込まれたり、集団面接の失敗をいつまでも引きずって切り替えが効かない場合。 または第一志望ではない大学で失敗して全て最後まで気持ちの逆転が効かない場合
(3)試験シーズンには「流れ」というものがあり、ささいな失敗から全て「流れ」を変えること
ができずに階段から転げ落ちるように「負の連鎖」を呼び込むようになる場合。野球のように試合の「流れ」というものがあり、スムーズに流れさせることは重要なポイントだと思う。乗ったら勝ち進み、勢いづく。逆に乗れないと「流れ」を変えることは難しい。
(4)試験シーズン途中から全くやる気がなくなり、受験さえしないかキャンセルしてしまう場合、または途中で投げやりになって会場にさえ行かない。あるいはどれだけの疲れが自分にかかるか予想できず、多数受験して「疲れ」から集中力が続かずに全て失敗するケース。スタミナ配分とコンディション調整の予想ができない場合。
<「追い込み過ぎ」のステージ>
(1)これ以上浪人できない多浪生や嫁さん、子供抱えての後がない大逆転を狙う再受験の場合に自分を追い込み過ぎてすべるケース。憎悪感や負のエネルギーに包まれガチガチの状態はうまくいかない。悲観主義の受験生で「耐える姿こそ美しい」のような哲学を持つようなタイプ。あまり、意識が高過ぎてガチガチの状態も良くない。
「生か死か!」のような状態では心に何の余裕もないし、冷静になれという方が無理だと思う。
<油断のステージ>
(1)不思議と上の子供が医療の世界の受験に成功すると兄弟の下の子も目指すようになるし、実際そういう家庭も多い。そこで起こる。
上の子がすんなりと合格すると下の子で苦労する。不思議とそうなる。実際は下の子の方が真実の世界なのに上の子や親戚がすんなりいくと親に油断も産まれるからだと思う。不思議とプラス、マイナスで「ゼロ」になるものだ。
(今、ここを読んでいる人全国から、「そう!、その通り!!」と声が聞こえたような気がする。安心してくださいね。たくさんいますから..油断して当然ですよね。)
<自宅浪人を考えている生徒への伝言>
親に迷惑をかけていない自分の美徳に酔いしれている場合だってあるんですよ。でもね
正直なところ宅浪ってきついですよ。「一人相撲」ですからね。暗いトンネルの中でですね
「オーイ!」って叫んでも自分の「オーイ!」しか返って来ない状態ってきついんですよ。
誰からも声をかけられない状態ってのもきついですよ。やった人はわかりますよね?
やはり、少しできた時に「お前、良くなってきたな!」とかスランプの時に「お前なら乗り越えられる!!」って声かけられたりするのって全然ちがうんですよね。宅浪長くやるとおかしくなって来ますよ。模擬試験の点数が良くて廻りから「お前、すげーな!!」とか言われるだけで甦ったりするんですよ。
怒られて「しっかりせんか!」でも言われないよりマシですよ。
もし、考えている人いたらそこに気がつく時が来ると思いますよ。 自宅で勉強してそこに泥棒が入って来ても話しを聞いて欲しい位の孤独の時ってありますよ。(笑)
もう一度言いますね。人間である限り「一人相撲」ってきついんですよ。
人間ですからね
以上細かい部分に分ければもっと細分化できるが大雑把に分けるとこのように解析されるだろう。参考にして気づいて欲しい。
ここを読んで少しでも「なるほど、そうだったのか!」とか思った人はまだまだ気がついてない点が多数あると付け加えておきたい。
当たり前のことが見えてないケースが驚くほど多数あるのがこの世界の特徴でもあると思う。
最後に大事なことを追加したい
以下の傾向の受験生を見かけると思う
多かれ、少なかれこういった場合に受験生は動揺したり、気になったりして勉強の進度が遅れたり、悩みを産み出したりしますよね。
そして入手できる情報は噂であろうと何であろうと全力で入手しようとする。
こういうケースにならないためにはどうするか?
情報を遮断すべきですね。だって情報を入れなければ動揺しないですから。
でも入試制度の変更点とか出題傾向とか倍率とか傾向分析とか併願情報だとかそういった部分はどうですか?
こちらは積極的にアンテナを立てて情報入手をしていかないとダメですよね。早ければ早いほど有利な場合もありますよね。
気がつきましたか?
「入り」の情報を遮断した方がいい場合と受け入れた方がいい場合と結論として2種類存在するんですよ。
情報の取捨選択の力も必要なんですよね。
これに惑わされるから「迷える子羊」のようになって何年もさまようケースがあるってことですよ。気の弱い子なんて情報遮断の勇気がなくてずっと足腰のガタガタした状況でいつまでも「情報洪水の渦の中」をさまよってしまうんですよ。
情報動揺中毒みたいになってしまうんですよね。
中毒ですからなかなか抜けない。
これに気がつかないと何年もさまよってしまいますよ。
「情報を遮断する勇気、情報を捨てる勇気」
これも大事ですよ。
今、「ズバリ俺のことや!!」と思った人いませんか?
いますよね。人一倍不安な人ですよね?
宿泊ホテルに参考書大小包3箱位送って、見る時間もないのに自分の勉強部屋の再現ができないと焦るタイプですよね。
そして、やっぱり見る暇もない。心中する武器が絞れない。
時間が限られているから絞らざるをえないんですけどね。
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