<12月29日(土)> リーダーとしての魅力
11月位だったか、久しぶりに公立小学校と私立幼稚園の公開授業を見に行った。感想は
どうだったか?圧倒的に私立幼稚園の方が上である。最初の導入部分ですぐにわかる。
公立小学校の場合はわずか15分で出た。耐えられない位だるかった。やはり、「サービス
のレベル」は厳しい競争にさらされないと落ちていくものだと思う。
競争があるからこそお客さんは幸せになれる。
そしてその中で必要なものを選択し、気にいらなければ自由に捨てればいい。
お客に捨てられたら消えればいい。それだけだ。誰もさほど気にしない。
かつて予備校の先生が話術を磨くために、アナウンサー教室に通ったり、見栄えを良くする
ためにプチ整形までしていた人もいた。女性の先生でセクシー極まりない服装で登場してい
た人もいた。わざわざ「ぬいぐるみ」を着て授業をしていた人もいた。
もう時代がそういう時代ではないし、そういうのを喜ぶ
生徒は市場からいなくなるのでもう意味がない。
ただ予備校の先生の方が学校の先生より授業がうまいのは当然だ。
それしかしないのだから。ただ、アンケート至上主義のために弊害が生じるのが難点だ。
例えば、100人受講生がいるとする。75人が薬学部志望者で残りの10人が工学部、10人
が獣医志望、5人が医学部志望としよう。そうすると、圧倒的に薬学部に合わせた授業を
した方がアンケートの数字は取れる。
長生きするためにアンケート数字を死守しなければならない。
残りの25人はいないものとして授業をした方が数字は取れる。
ここに一つ目の盲点がある。
全員を満足させることなど最初から不可能だ。なら最大分母に焦点を当てる。
アンケートが絶対の評価基準である場合、当然のことだ。
私も昔126人の授業を担当したことがあるが、常にアンケート数字を頭の中で計算していた。
アンケート数字が悪いと教務に呼ばれ、最悪首になる。
教務に呼ばれた時点でレッドカード宣告だ。
だからアンケート時期が近くなるとやたら生徒に迎合したり、生徒におごりまくったり
「信者集め」に気合を入れる先生もいた。アンケートが近くなると生徒にケーキを
出したり、最高点をつけたら500円提供していたなど耳に入って来たこともある。
読んでいる先生方は納得できると思うのだが、「これ以上深く説明するとわかりにくい
という評価が来るな」とか本能的に自動的にアンケート数字を
計算してしまうのだ。ポイントは「できるだけ多数をわかった気にさせる」ことだった。
(あくまでも私の個人的意見だが、浪人して偏差値55〜56位までしか出なかった生徒が
ここでいう「わかった気になっている生徒」のような気がする。なぜなら、何も勉強していない
生徒がたまたま模擬試験で調子がよければ52〜56位までは出たりするからだ。)
大人数の場合は、「成績を上げる授業というよりヒントを撒き散らす授業」という
ようなイメージになって来る。成績のいい生徒ならヒントを掴み、自主学習に
活かすことはでき、そして成績を上げることはできるだろう。言えることは、「放送授業」
と「成績を上げる授業」というのは全く別種類のものだということだ。
安価に済ませようと思えば、その理由があることをわかった方がいい。
ただ聞いて後で何も行動しなかったらTVや映画を見るのと同じだと言いたいのだ。
当然のことだが「放送授業」の後の「生徒自身の行動」こそが最も重要なのである。
大人数の場合は、「アンケートを下げられない講師」と「ヒントをつかもうとする
生徒」が同じ空間にいるというのが真実だと思う。したがって授業中のヒントと
自分の志望校との距離を冷静に計算でき、授業後すぐに「自分で鬼のような努力が
できる人間」のみが難関といわれる大学に合格できるということになる。
つまり、もともとかなりできる生徒にこの能力がある。
そして予習絶対前提という条件がつく。細かい指示やナビゲーションもない。
自己管理に強くないと自然と脱落していく。そして脱落していく自分に気がつかない
というのがお決まりのコースだ。それだけ自己管理は難しい。
よくあるのが1時間目授業があり、次の3時間目までないとする。この時間をゆっくり
したり、遊んだりするようになるとダメだ。また、昼から授業があり、11時くらいまで
ぎりぎりまで寝るようになるとダメ。もう半分以上崩れている。
機械的に決められたマシーンのように勉強する
時間を体が覚えるようにならなければダメだと思う。
「もう夜か?」という位に1日が早く過ぎるようになれば上等だと思う。
そうすれば体が規則的行動に順応していく。
まずこのリズムを体が覚えて抵抗がないようになることだろう。
保護者の方に言いたいのは、「自分の子供がそのヒントをつかむことができな
くて、かつ時間だけが無意味に過ぎて行っていると判断したら、できるだけ早く補足
手段を考えた方がいい。」 結果は見えていると思うから助言しておきたい。
「節分の豆まき」を芸能人や相撲の横綱が大人数にまきちらして、お客さんが
必死でつかもうとしているシーンを見たことがあると思うが、あれに近いイメージ
のような気がする。取りこぼしが毎日連鎖すると危険だ。
そして生徒本人が「消化していない」と気がつくことが特に重要だと思う。
たったの9ヶ月しかないのだから秋以降に気がついても無理だと思う。
受験生はこの「今の自分に気がつく、今の自分を冷静に分析できる」という能力が
最も重要かも知れない。
したがって「気がつくようにしてくれる第3者の存在」が特に重要だ。
気がつかずにただただ時間が過ぎていくことが最大の危険だと思う。
今でも覚えている極端な例だが、12月になって「先生、やっと英単語の本
決めました。これでいいですかね?」と来た生徒がいる。こんなことが
現実に起こるのだ。本人は全く気がついてないし、注意する人間もいないと
こういうことが起こる。「目標までのレールを創る」これが浸透していないと
結果は見えていると思う。また、レールに載らないから問題も起こる。
現場の先生なら「そうそうその通り!」と言うと思うが、生徒の質問内容から自動的
に現在の状態と定着度がすぐにわかるはずだ。口が裂けても「今、こんな質問してたら
今年は絶対に無理!」とかわかっていても言わないはずだ。私も大人数の生徒が
いた時は、「アンケートのために親切だったが親身ではなかった」と思う。
懺悔の意味で言っておきたい。大体100人もいるのに親身になれるわけがないだろう。
そんな時間もない。「さらっとやって、さらっと終わる」当時はそういうものだった。
細かいケアなどできるわけがない。そういう指導を希望したければ、模擬試験だけ受けて
指導は別のタイプを探した方がいい。もともと9ヶ月で終わるようにできているのだから。
途中で1人がわからないからといって止まることなどできない。
終わらなくてはいけないから。団体のバスは遅刻したものは捨てていく。当然だ。
これも自分自身の懺悔ではあるが、人数が多ければ1人1人を大切な人間に見れなくなっ
ていくのだ。
最初100人以上を担当した時は、「ビールケースにきちきちに入ったビール」のように
見えた。休み時間に質問に来ると自分が休みたいまたは早く移動したいために質問を早めに終わらせる、説明を大幅に省略して結論を出していたこともあったこともあったと思う。
つまり、個々の質問さえも「わかった気にさせていた」のだ。
多くの先生が経験があると思うのだが、質問に答えて「こいつ、まだわかっていないな」
というのがわかっていながら放置する。または自分が忙しいから十分に応えていない。
簡単に言えば「最後のひと絞りの指導」をしなかったという経験はあると思う。
それより次の移動の時間の方が気になって気になって仕方がなかった。質問を受けたくないためにわざと隠れていた先生もいた。意図的に質問するために探そうとしている生徒の視界から消えるのだ。休憩のお茶が飲めないこともあるからだ。
大体、生徒の誰が誰だか全くわかっていない。
たまに町で出会って頭を下げられても笑顔で「おー元気か?」とか口では言いながら、心の中では「あいつ、誰だったっけ?」と でも挨拶しているから多分、生徒だろう位のものだった。大人数を教えている先生なら多分こうだろうと思う。町で出会って最も怖い質問が「先生、私のこと覚えてます?」だった。この質問が来ると精神的に動揺する。「いやーよく覚えているよ!忘れるわけないじゃないか(実は全く記憶にない。しゃべりながら大体のヒントから必死でつじつまを合わせていた。まずクラスの特定が大事だった。そうすれば、なんとか「その場」は逃げ切れる。)」
とにかく誰に指導していたのかわからなかったし、誰がどこで見ているのかもわからなかった。
保護者の方にもうひとつ伝えておきたい。
大きな書店に行って「参考書や問題集の種類がどれだけあるか?」一度見ておいた
方がいい。「この莫大な種類の中から各科目参考書と問題集を1種類選択し、どれだ
けのペースで処理していくことを子供が決定し、継続することがどれだけ大変なことか」
理解しておいた方がいい。単語集だけでもかなりの種類がある。辞典だってひどい
のもあればいいのもある。「その選択の指導はほとんど皆無であり、仮にあったとしても
生徒にマッチしない場合がある。」 ここも細かい点だが1年を左右する点だ。
当然、実力と合っていない問題集や参考書をやっていても見た目はがんばっているように
見えるのだが、全く栄養になっていない。逆にマッチした場合、どんどん成長していく。
これも現在の受験産業の盲点と言える。保護者もわかっておいた方がいい。
テキストだってそうだ。高校のテキストに「1点を左右する医大のアクの強い問題」
出ないし、見たこともないだろう。問題の質も悪いし、第一高校のクラスで医大の
問題研究を必要とする人間が何人いたか?考えたらわかるだろう。
だから、過去問題をやったり、本番で出ると動揺する。受験勉強の全体像を細か
くパーツ毎に深く切り込んでいけば、「当たり前の真実」があぶり出されてくる。
また、講師アンケートそのものが生徒の「講師を単に好きか嫌いか」で判断するような
所があり、完全な厳密な評価になりにくいという点もあることだ。
アンケートを上げる1つの裏技として「自分の授業を嫌いな生徒を辞めさせる」
というのもある。そうすれば、自分の信者だけになり高得点のアンケートがキープ
できる。辞めた生徒の意見まで拾い上げるということはしていない。
だから先生として同業者が見た場合にいい先生が、生徒から「おもしろくない、だるい」とか
評価を受けてしまう。生徒を楽しませるだけの「はったりかます先生」が大きな顔をしたりす
る。この点を生徒や保護者は見抜けない。
最後の盲点になるが、大人数の授業をしている先生は、少人数授業の3倍位の疲れが
あるはずだ。「のど」の調子が悪くても声を張り上げなくてはならない。後ろの方にも見える
ように意識して大きく書かなければならない。ずっと立っていると足が疲れて来る。
そしてABCという3つのやり方を持っていてもAのやり方で行くというようにあらかじめ決め
ているはずだ。途中からやり方を変えるとアンケートの数字が落ちる。(つまり、BとCの
どちらかのやり方とレベル設定ならついていけた生徒はここではじかれる。あるいは、
もっと高度な内容を期待していた生徒は出席しなくなる。授業を切ってしまう。)
少人数であれば、40分までは共通授業、残りの演習は個人別レベルの問題と解説
までできる「ハイブリッド授業」で満足度をキープできたりする。つまり、小回りが効かない
のだ。
お客さんサイドもシステムを理解した上で納得して受講すれば問題はないと思う。
安価にするためには「人件費」を削るか「多数詰め込む」しかないのである。
もう1つのポイントは「アンケート」に左右されるという点をお客も理解すべきだと思う。
講師の方は「どうだ、俺の授業わかりやすかっただろ、快適だっただろ?」という
「空間の快適さ」に重きを置いており、「空間の心地良さと成績の上昇」は全区く別モノ
ということだ。
鋭い受験生はもう見抜いていると思うが、成績の上昇はそこからの「地味な参考書を
読んで問題集を解いたりするアウトプット作業を経過して熟成され、やっと成績が少し
上昇するという非常に「投資効率の悪いもの」だと言うことだ。
また、どんなにいい先生が指導しても生徒が動かなければ効果はありえない。
ここにお客さんは着目すべきだと思う。
だから、自分をよく「俺はプロだ」という先生がいるが、快適な空間を与えるプロであっ
て全く成績が上がらない場合も存在する。生徒の父兄から見ればプロでもなんでも
ない。
学生講師でもプロ以上の才能を持った学生もいる。しかし期待して色々とアドバイスしても
2〜3年で卒業して辞めてしまうのでがっかりしてしまう。だから、学生中心であっても人材
が非常に流動的なので当たり外れがあるということもお客さんは知るべきだと思う。
例えば、チラシに「〇〇コース」と入り口は多数あるが、受講している科目と場所は同じ
ということが起こるのは仕方のないことだと思う。市場原理を理解した上で不平、不満
を出すべきだと思う。気持ちはわかるが、仕方がない。かと言って安価に提供するため
に人件費を削り過ぎると「先生方がやる気をなくし、サービスに手抜きをし始めるのだ」
現場担当者がこれでは成績など上がらないし、第一教室という空間が「意味のないもの」
になる。ここのバランスがスクール経営の難しい所でもある。
だから、熱心な父兄の方で「小さいころから色々なシステムを経験させてどのシステムが
最も子供に適応しているか?検証されている父兄がいるが、偉いと思う。尊敬する。
まさにそれがベストである。」
なぜなら、ほとんどの家庭が「子供が塾や予備校に通学していることだけに満足して、その
費用対効果を検証していないことに問題がある」と言える。
どんどん捨てればいいのだ。失った時間は絶対に返って来ない。
次に第2の盲点を上げる。自分のアンケートの数字を上げるために講師と講師の「蹴落とし合い」が起こることだ。極端な例を上げる。
「Aという講師が長文を前から読めという、そこでBという講師がA講師はバカだ。長文は後ろから俺のテクニックを利用して後ろから行け!だから直前は俺の授業を取らないとまた浪人するぞ!」とか言う。
迷惑するのはお客である生徒だ。混乱するし、どちらを信用していいかわからなくなる。
競争させるのはわかる。しかし、これは取り締まるべきだ。そんな時代ではない。
全体として「全教科一つの完結したノウハウ」としてつながらない限り、意味も価値もない。
講師が自分の教科と自分の保身だけに走る。しかし、生徒は全教科まんべんなく取れない
と合格しないはずだ。つまり、「とんがった一部分が、とんがっただけで全体として連結していない」
ということだ。アンケート至上主義が「講師同士の内部抗争」を引き起こす。
「一匹狼」を自由にのさばらせて「統一の取れた群れ」になっていないということだ。
お客の要求は年々複雑高度になっているのにニーズに対応ができない。
かわいそうなのは、真面目な先生が無理をして生徒を楽しませようと無理な努力をする場合
だ。「本当はやりたくない」のにだ。これは本当にかわいそうだと思う。また、もともと根が
真面目なので冗談があまりおもしろくない。正統派の先生が芸人になるのは無理だ。
(もし、そういう先生だと見抜けたらぜひとも笑ってやって欲しい。)
本人は、精一杯考えて来て準備して来たはずだから
(真面目だから、テキストの端の方に「ここでこの冗談を言う!」とかたぶん記録していると思う)
(また、「3人以上あくびをしたらこの話をして軌道修正する!」とか書いているかも知れない)
はったりをかます先生は、はったりをかますことが当たり前なので本人が麻痺している。
できるだけ何でも大げさに言う。これもある意味かわいそうだ。
生徒を引き付けるために自分を10倍位大きく見せようとする。
(本人も無理しているので相当つらいと思うし、罪悪感もあるはずだと思うが)
ただし、嘘をつくのが当たり前の先生は本人そのものが麻痺しているので
何とも思っていない場合がある。
仕事として、サービス業として真面目な先生が低評価で、「チョーク芸人」に徹する人が高い
評価を受ける時代が過去に合った。
この種のサービス業で最も難しいものの1つに「先生の評価」がある。
生徒のレベルに合わせて評価が異なるからだ。この部分を全員が満足する評価システムを
創り出すことは至難の技である。
「永遠に答えが出ない問題」かも知れない。あれば指導を受けたい位だ。
ただ、時代の変化が激しいので今後は時代を読める柔軟な思考の出来る人材しか必要とされ
ないだろう。今が過渡期と言える。
20年以上経験した世界の中で今言えることが1つある。この業界は、個人がたまたまうまく
行った経験を、さも「万人に効果のある魔法の処方箋」にように放置していることである。
ある意味、自分を押し付けている仕事と言えるかも知れない。
やり方は無限にある。今まで1人だけスーパードクタークラスの先生を見たことがある。
1人1人の生徒に「A君にはこのやり方がダメだったのでこのやり方とこの問題を使用した。
したがって○点上昇した。○月○日にちがうやり方で接近したが、○点ダウンした。という
ことはA君にはこのやり方の方が合うことになる。使用した問題○○年度○○大学○番で
制限時間○分、A君は○年度に指導した○○君と似ているがこう言う点の理解度は遅い」
とかとてつもない個人別データベースを何十年にもわたって持っていた先生がいた。
そのデータベースを見た時には「こんな奴おったんや?」と次の言葉が出なかった。
この先生のすごい所は、「試行錯誤した検証結果を数字で残している点」だ。
「こんなもの創る時間あったのか?」と本当に心の底から驚いた。
信じられない位細かい個人データベースだった。ちなみに今までに1人しか見たことがない。
講師も忙しければ忙しいほど授業は雑になるものだ。上記のスーパードクタークラスも
全国に多少存在はしているだろうが、天然記念物位か絶滅寸前位の数だろうと思う。
お客さんに言いたいことは上記のスーパードクタークラスの先生も、何の予習もせず昔の知
識だけで適当に流している人間もお客さんには同じ「先生」にしか見えないことだ。
しかし、2人の苦労にはとてつもない開きがある。
そういう部分を考慮せずに単なる好き嫌いで判定してしまうアンケート評価は、実は厳密な評
価ではないのだ。私はそう思う。 また面倒くさくて適当に書く生徒だっている。
最後に受験という人生を左右するポイントにおいて非常に未完成な市場に囲まれているという
現状をお客さんは理解すべきだと思う。
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