小論文プレテストPART2

 小論文 プレテストβ
フェニックス・ゼミ 

問 次の文を読み、あとの設問に答えなさい。

 

 学問を職業としてきたから、先達が書いたものをいろいろ読んで勉強するのは仕事のうちだ。勉強して、疑問にぶつかり、そのつど自分なりに一生懸命考えて、結論めいたものに到達する。到達しなくてもあきらめない。いつかわかる日が来るかもしれないから、すっきりしなくても何でも、疑問は疑問のまま残しておく。専門分野から日常的なことまで、僕にとってものを考えるとは、そういうことである。

 こうやって長年考えてきたことを、本に書いたり、講演などで話したりする際、言葉ひとつにも、かなり気を遣ってきた。一般の人にわかりやすくしようというより、自分で納得のいかない言葉は使いたくないからだ。特にカタカナ語。たとえば「コミュニケーション」である。僕に言わせれば、これほど怪しい言葉もない。人がふたりいて会話しているイメージだが、このふたりはコミュニケーションによって、どこまでわかり合えるのだろうか。お互いに相手の言葉によって、考えや気持ちは刻々と変わるはずだ。お天気の話で終わるならともかく、一方がついうっかり「バカ」なんて言おうものなら、話の流れによってはゲンコツが飛んでくるだろう。相手が変わってしまったら、話はそこまで。コミュニケーションどころではなくなる。

 コミュニケーションという言葉は、アメリカ人がよく使う。彼らは確固とした「不動の自己」というものを信じているから、軽い言葉のやりとりでもコミュニケーションが成り立つ。そんなイメージでこの言葉をとらえているのではないだろうか。だが僕は、確固とした自己なんてそもそも存在しないと思っている。片時も同じ状態にとどまらないのが生き物の仕組みであり、人間の脳なのだ。

 カタカナ語は好きではないが、日本語の語彙の中に適切な訳語がない場合は、そのまま使うしかない。「サイズ」がいい例だ。メートル法の時代に「寸法」では古くさいし、「大きさ」というと、すでに「大きい」という価値観が入っている。「小さい虫の大きさ」では、会話の中でならまだいいが、文章では違和感がある。「システム」「グループ」なども、そんな言葉の中に入るであろう。

 自分が納得できるように、つくってしまった言い方もある。よく使うのが「ああすれば、こうなる」。脳化社会にどっぷり浸かった人間が陥りがちな、硬直したシミュレーション思考のことを、こう表現してみた。自分の考えを伝えるには、ふだん使い慣れている言葉を使ったほうが、本人も心地いいし、人にもわかってもらいやすいようだ。

(養老孟司「旅する脳」による)

 

問 あなたにとって納得できない言葉とは、どういう言葉ですか。例をあげながら、その理由を説明しなさい。ただし、本文に出てくる例は使わないこと。(六〇〇字以内)